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オンライン授業/西ヨーロッパ地域研究A「ラングドック・ルシヨンの歴史と文化」
第7回/6月30日(火)
ガール県とロゼール県の中世ロマネスク教会(後半) ロゼール県
(※ページの画像がうまく読み込まれない場合は、再読み込みすると、ちゃんと表示されると思います)
前半では、ガール県(Gard)のロマネスク教会について取り上げました。
後半では、ロゼール県(Lozère)のロマネスク教会について説明します。
後半は少し短めです。
ロゼール県は、ラングドック=ルシヨン地方の、一番北に位置します。
フランスの中部の「中央山塊」の南側にあたります。
なだらかな高原や渓谷が続く、自然豊かなところです。
したがって、フランスの中でも最も人口密度が低い、
つまり人が少ない県であると言われます。

④サン=テニミー修道院(Monastère de Sainte-Enimie)

サン=テニミーの街(あるいは村と言ってもいいくらい)は、
ソヴテール台地とメジャン台地という2つの標高の高い台地の間にタルヌ川が刻んだ
タルヌ渓谷沿いにあります。
人口は500人を少し超えるくらいです。
夏のバカンス・シーズンは、川遊びやカヌーなどで、観光客がたくさんやって来ます。
でも夏のハイ・シーズン以外は、ガラガラですね(笑)。
何と言っても、南仏のへんぴな地方の、これまたへんぴな山の中の小さな村なのですから。

サン=テニミー
さて、話は今から1500年も前にさかのぼります。
古代ローマ帝国が滅びた後、西ヨーロッパを何とか統一したのが
ゲルマン系フランク王国でした。
その王家であるメロヴィング家の王女エニミー(Énimie)の物語です。
彼女はメロヴィング王家の第3代のフランク国王クロテール2世(クロタール2世、在位613-629年)の
娘とされ、兄はフランク王位を継ぐダゴベール1世(ダゴベルト1世、フランク王在位603-639年)でした。
王女エニミーは、稀に見る絶世の美女でした。
同時に彼女は、日頃から貧者や病者を哀れみ、彼らに手を差し伸べる
優しい心の持ち主でもあったのです。
しかしそのあまりの美しさから、数多くの王侯貴族の若い男たちからプロポーズされたのでした。
父王クロテール2世は、そのうちの1人と結婚させることに決めます。

しかし信仰心に満ちたエニミー自身は、結婚することを拒み、
あくまでも純潔のままにとどまることを望んで、
結婚するくらいならいっそのこと自分を醜くして欲しいと神に祈ったのでした。
すると神はその願いを聞き入れ、彼女を重いライ病にかからせたのでした。
「ライ病」とは、古くからある皮膚病で、今では「ハンセン病」と呼びます。
エニミーの顔はこの病のために、ひどく醜くなってしまいました。

醜くなってしまった王女エニミー、TV5 MONDEより
そのあまりの苦しみからエニミーは神に助けを求めます。
するとエニミーの前に天使が現れて、「ジェヴォーダンにあるビュルルの泉」に向かえと告げます。
彼女はお告げに従って、「ジェヴォーダン」つまり今の「ロゼール県」までやって来ます。
そして「タルヌ渓谷」でその「ビュルルの泉」を見つけて、
その中に体を浸けるのです。
するとどうでしょう、エニミーを醜くしていた皮膚病はたちどころに癒えて消えてしまったのです!

王女エニミーが身を浸けたとされる「ビュルルの泉」(fontaine de Burle, 2018.6.13)
右は泉につかる王女エニミー。Nicolas Demare のデッサンより。
皮膚病が消えて良かった良かった、さぁパリに帰ろう!
と喜んで、いざこの地を離れようとすると、なんと再び元の醜い状態に戻ってしまったのです。
またまた泉に浸かると病が消え、しかしこの地を離れようとすると元に戻る、
ということを3回繰り返した後で、エニミーは悟ったのです。
これは、神が私にこの地を離れるなとおっしゃっているに違いないと。
この地に留まるのが、自分の運命なのだと。
彼女は泉の湧くこの地に、女子修道院を創建しました。
そしてこの「ジェヴォーダン地方」の司教イレールによって、その修道院長に任じられます。
ほどなくこの地は彼女の名前をとって「サン=テニミー」(聖エニミー)
という名前で呼ばれるようになったのでした。
エニミーはその後、ライ病に苦しむ病者を癒したり、
あるいは司教イレールとともに悪魔の化身である
ドラゴンを退治したりという伝説を残しますが、
晩年はこの村のすぐ南西の断崖の中腹にある洞窟(Ermitage de Sainte Énimie)で過ごし、
西暦628年頃に没しました。

聖女エニミー(Église Notre-Dame-du-Gourg) 兄の国王ダゴベール1世
ところで言い伝えによると、自分の妹が聖女になったと聞きつけた兄の国王ダゴベール1世は、
はるばるこの場所までやって来て、聖女エニミーの遺骸をパリに持ち帰ろうとします。
どうやら聖人の「聖遺物」集めが趣味だったようです(笑)。
「聖遺物」とは、聖人ゆかりの遺物です。
多くは髪の毛とか骨とか身につけていた衣類とかが多いです。
それを手に入れたり拝んだりすると、いろいろな御利益があると信じられていました。
兄のダゴベール1世は、聖人となった妹の聖遺物(遺骸)を手に入れようとしたのですが、
しかし死後もこの地を離れることを望まなかったエニミーは、
自分の石棺にはいっさい名前を刻ませていませんでした。
女子修道院の修道女たちも、聖女エニミーの聖遺物(遺骸)を手放すことを恐れ、
エニミーの棺の上に、彼女が名付け親であった同じ名前の
エニミーという娘の石棺(その棺には「エニミー」という名が刻まれていた)を
重ねて安置していたため、兄王は結局そうとは知らずにその娘の方の遺骸を、
パリまで運んでいったと伝えられています。
現在、この「サン=テニミー」の村には、
11世紀以降に建てられた男子修道院の建物が残っています。
創建後、聖女エニミーの名声と聖遺物に惹かれて数多くの巡礼たちが訪れるようになり、
12世紀には最盛期を迎えました。
その後は次第に衰退しますが、1789年に起こったフランス革命によって完全に廃止され、
修道士たちは追い払われ、修道院は国有財産として売り払われました。

現在残るサン=テニミー修道院の建物 修道士たちの大食堂(réfectoire)
右上の写真は、修道士たちの大食堂(réfectoire)です。
非常にシンプルでありながら、均整が取れていて、壁に並ぶ半円アーチや
天井の半円形ヴォールトと半円形の横断アーチが美しいですね。
まるで教会か礼拝堂のような雰囲気を漂わせています。
ここで食べた食事は、質素なものでありながらも美味しかったことでしょう。
⑤サン=シェリー=デュ=タルンのノートル=ダム=ドゥ=セナレ礼拝堂
(Chapelle Notre-Dame-de-Cénaret de Saint-Chély-du-Tarn, Sainte-Enimie)
サン=シェリー=デュ=タルンの村は、サン=テニミーから南へおよそ5キロ、
タルン渓谷の中でも、岩山が両側に迫るとりわけ険しい場所にあって、
大きく蛇行するタルン川沿いの狭い土地に、家々が肩を寄せ合うようにして建つ
風光明媚な集落です。夏にはカヌーなどの川遊びを楽しむ人々で賑わう観光地です。

この村の奥に、ノートル=ダム=ドゥ=セナレ礼拝堂があります。
背後からのしかかるかのごとく迫り立つ分厚く大きな岩盤の下に、
まるで張りつくようにして建っています。
この礼拝堂のさらに奥の洞窟(grotte de la Cénarète)は古くから泉水の湧く聖域で、
伝説によると聖女エニミーも祈りのために、この洞窟にしばしばやって来たと言われています。

ノートル=ダム=ドゥ=セナレ礼拝堂(2017.3.11) 内部の様子
この礼拝堂は12~13世紀のロマネスク期のもので、
内部は薄暗くてまるで洞窟の中にいるかのようです。
正面奥の大きなアーチ、両側に並ぶ壁アーチは、太くてごつい石が組まれた半円アーチです。
いかにもロマネスクっぽいですね。装飾の類いはほとんどありません。
内陣には祭壇などもなく、現在は床に聖母マリアの立像が置かれていて、
その周りには、ここを訪れた巡礼者や観光客が残していった願い事を書いた数多くの紙片が、
置き石とともに所狭しと並べられています。
果たしてこれらの願い事はかなったのでしょうか?
本日の後半は、聖女エニミーにまつわるロゼール県のロマネスク聖堂についてでした。
ロゼール県には、これ以外にもたくさんのロマネスク教会があります。
画像が中心ですが、私のホームページで紹介しているので、興味のある人は見て下さい。
南フランスの中世ロマネスク聖堂(ロゼール県/北部・中部・南部)
次回は、異端カタリ派とアルビジョワ十字軍について取り上げます。
★今回は、出席調査を兼ねて、小コメントを提出していただきます★ 第5回~第7回の授業の内容について、自分がその中で一番印象に残ったことや、 重要だと思ったことは何か、そしてそこに、できれば自分の意見や感想なども付け加えて、 300字以上~400字くらいまでで書いてメールで提出(送信)して下さい。 ワードなどのファイルを添付するのではなく、メール本文に直接書いて下さい。 メールのタイトルには、必ず授業名、学生証番号、氏名を書いて下さい。 例えば次のようにして下さい。 (例)メールタイトル「地域研究A/5BPY1234/東海太郎」 提出(送信)締切りは、7月7日(火)の22時までとします。 メールアドレスは、nakagawa@tokai-u.jp です。 「@」の次は、「tokai-u」です。「u-tokai」ではないので注意して下さい。 |
※出席調査を兼ねたこのような小コメントの提出はこれで終わりです。
当初は全部で4~5回ほど予定していましたが、新型コロナの状況や、
大学全体のオンライン授業の状況、学生の皆さんの負担などを踏まえて、変更することにしました。
※ただし、一番最後に「最終レポート」を提出(送信)してもらいます。
※大学の「授業支援システム」を使っているわけではないので、WEBの閲覧やメールの送信には
時間の制限などはありません。いつでも好きな時に閲覧・メール送信して下さい。
| ★7月7日(火)は授業のアップロードはありません★ ★次回は、7月14日(火)の3限の少し前、11~12時頃に、 第8回目の授業内容をこのサイトにアップするようにします。 http://languedoc.nn-provence.com/ にアクセスして下さい。 |
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【今回(第7回)の授業の参考文献】
饗庭孝男『世界歴史の旅/フランス・ロマネスク』山川出版社、1999年。
饗庭孝男『ヨーロッパ古寺巡礼』新潮社、1995年。
馬杉宗夫『ロマネスクの美術』八坂書房、2001年。
柴田三千雄・樺山 紘一・福井 憲彦ほか編著『世界歴史大系/フランス史1・先史~15世紀』
山川出版社、1995年。
櫻井義夫・堀内広治『フランスのロマネスク教会』鹿島出版会、2001年。
辻本敬子・ダーリング益代『図説ロマネスクの教会堂』河出書房新社、2003年。
船越一幸『ロマネスクの社会を散歩する』共同文化社、2015年。
アンリ・フォション『ロマネスク彫刻・形体の歴史を求めて』辻佐保子訳、中央公論社、1975年。
アンリ・フォション『西欧の芸術1・ロマネスク』上下巻、神沢栄三ほか訳、鹿島出版会、1976年。
エミール・マール『ヨーロッパのキリスト教美術』上下巻、柳宗玄・荒木成子訳、岩波文庫、1995年。
エミール・マール『ロマネスクの図像学』上下巻、田中仁人ほか訳、国書刊行会、1996年。
ル・ロワ・ラデュリ『ラングドックの歴史』和田愛子訳、文庫クセジュ、白水社、1994年。
『ミシュラン・グリーンガイド:プロヴァンス』実業之日本社、1991年。
BARBUT, Frederique, La route des abbayes en Languedoc-Roussillon, Ouest-France, 2016.
BERTRAN DE MARSEILLE, La vida de Santa Enimia(La vie de Sainte Enimie),
présentée et traduite par Felix Buffière, Édition la Confrérie, 2001.
BUFFIÈRE, Felix, 《ce tant rude》Gévaudan, tome 1, Mende,
Société des Lettres, Sciences et Arts de la Lozère, 1985.
CLÉMENT, Pierre A., Églises Romanes oubliées du Bas Languedoc,
Montpellier, Les Presses du Languedoc, 1993.
DROSTE, Thorsten, La France romane, Les Éditions Arthaud, 1990.
GRIFFEUILLE, Marie-Françoise, Saint-Gilles, Éditions Notre-Dame, 1980.
LANNOY, François de et LABROT, Jacques, La croisade albigeoise, Éditions Heimdal, 2002.
MARCONOT, Jean-Marie, Saint-Gilles, L'abbatiale romane, Éditions RIRESC, 2008.
NOUGARET, Jean et SAINT-JEAN, Robert, Vivarais Gévaudan Romans.
Saint-Léger-Vauban, Zodiaque, 1991.
RIBERA-PERVILLE, Claude, Chemins de l'art roman en Languedoc-Roussillon,
Ouest-France, 2013.
TRÉMOLET DE VILLERS, Anne, Églises Romanes oubliées du Gévaudan, Montpellier,
Les Presses du Languedoc, 1998.
VICTOR-JEOLAS, Saint-Gilles, Notes historiques et archéologiques,
l'E.S.S.I. et la société d'Histoire et Archéologie, 1980.
WERTH, Francois, Le patrimoine caché et méconnu en Languedoc-Roussillon,
Ouest-France, 2013.
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