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特殊講義D/フランス中世の教会建築と彫刻装飾
第2回/プレ・ロマネスクの世界(前半)
1.「プレ・ロマネスク」とは
通常、中世の11世紀~12世紀がいわゆる「ロマネスク芸術」の時代とされていますが、
古代ローマ時代が5世紀(400年代)に終わったあと「ロマネスク時代」となるまでの間の
おおよそ6世紀(西暦500年代)から10世紀(900年代)頃までの時代を
ロマネスク「以前」の芸術様式という意味で「プレ・ロマネスク芸術」と呼びます。
そのうちの、とりわけローマ帝国時代後半の
3世紀初め頃から帝国崩壊後の6世紀末(500年代末)あるいは7世紀初め(600年代初め)頃を
「初期キリスト教芸術」の時代と呼び、
その後の8世紀頃(700年代)~10世紀頃(900年代)の時代を
「プレ・ロマネスク芸術」の時代と呼ぶことも多いです。
その時代は古代ローマ帝国の滅亡後、
ゲルマン系の「フランク王国」が西ヨーロッパ地域を支配しましたが、
このフランク王国のメロヴィング朝からカロリング朝の時代の芸術様式にあたります。
上に記した8世紀頃(700年代)~10世紀頃(900年代)は、
ちょうど後者のカロリング朝時代の芸術様式に当たります。

教会の彫刻装飾などは、その後のロマネスク期のものよりも、
よりいっそう素朴で、中には不思議なモチーフの彫刻などが見られます。
こうした6世紀(西暦500年代)から10世紀(900年代)頃までの時代
すなわち「初期キリスト教時代」から「プレ・ロマネスク時代」のもの、
言い換えると「メロヴィング朝」から「カロリング朝」フランク王国の時代の建築物は
非常に古いものなので、イタリアやスペインには比較的多くのものが残っていますが、
フランスで残されているものは数が限られています。
2.ラヴェンナの初期キリスト教建築群(Early Christian Monuments of Ravenna)
まずフランス以外のものを簡単に見ておきましょう。
初期キリスト教芸術で最も有名な街のひとつが、イタリアのラヴェンナ(Ravenna)です。
そこに見られるのが、世界遺産にも指定されている、
いわゆる「ラヴェンナの初期キリスト教建築群」と言われるものです。
ラヴェンナの場所は下の地図の赤く囲ったところです。

5~6世紀に建てられた次のような初期キリスト教の聖堂や霊廟が、
すばらしい保存状態で残されています。
サン・ヴィターレ聖堂
サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂
ガッラ・プラキディア(ガッラ・プラチーディア)廟堂
大聖堂付属(正統派)洗礼堂
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
テオドリック廟
このうち最も有名なのは、「サン・ヴィターレ聖堂」(Basilica di San Vitale)です。
ラヴェンナが東ローマ帝国支配下にあった548年に完成したもので、
聖堂の平面プランは八角形の集中式です。
初期ビザンティン美術の金色の美しいモザイク画が、八角形の堂内の後陣を飾ります。
皇帝ユスティニアヌス1世と廷臣たち、皇后テオドラと侍女たちをはじめとする
きわめて美しいモザイク画です。
(※私は残念ながらラヴェンナにはまだ行ったことがないので、
画像はネットから集めたものになります)
←サン・ヴィターレ聖堂

皇帝ユスティニアヌス1世と廷臣たちのモザイク 皇后テオドラと侍女たちのモザイク
モザイク画とは、絵の具を壁面に塗って描く絵とは異なり、
色の付いた小さな石、ガラス片、陶磁器片などを床面や壁面に埋め込んで、
図像(絵)や模様を表現するものです。
なので、遠くから見ると普通の「絵」に見えても、近くまで近寄ってみると、
石片などの組み合わせであることが分かります。
コンピューターによるデジタル画像を、思いっきり拡大すると「ドット」の集まりに分解されてしまう
のとよく似ているかも知れません。
下の絵は、皇后テオドラの顔の部分を拡大したものです。石の「ドット」がよく分かりますね。

ラヴェンナにおいて「サン・ヴィターレ聖堂」のものに負けず劣らず素晴らしいのが
ガッラ・プラキディア(ガッラ・プラチーディア)廟堂(Mausoleo di Galla Placidia)です。
ここには「奇跡のモザイク」とか「ラヴェンナの最高峰」と言われる壁モザイク画が残されています。
ガッラ・プラキディア(390年頃~450年)は、ローマ帝国末期の皇帝ウァレンティニアヌス3世の母です。
この霊堂は、彼女の墓として5世紀(400年代)に建てられたものです。
建物自体はシンプルな十字型で、全体がレンガで造られています。
←ガッラ・プラキディアの廟堂(ラヴェンナ、イタリア)
十字型建物の中央部の天井(ヴォールト)には、満天の夜空に金色に輝く数百もの星が描かれています。
そしてその中央には、キリストの再臨を象徴するひときわ大きな十字架。
遙かなる広大な神の宇宙で、永遠の平和を求める魂は、静かにそして深く、癒やされたのです。
ガッラ・プラキディア廟堂のヴォールトのモザイク画
3.ドイツのアーヘン大聖堂(Aachener Dom, Aachen)
プレ・ロマネスク期の建築として、もうひとつ有名なものが
ドイツのアーヘン(Aachen)にあります。
アーヘンは、古代ローマ帝国崩壊後、西ヨーロッパを統一することに成功した
カロリング朝フランク王国の国王カール大帝(フランス名はシャルルマーニュ、742-814年)が、
王国の首都とし、居住した街です。

この街のアーヘン大聖堂は、カール大帝が建設した大きな王宮の建物の一部でした。
936年から1531年まで、30人のドイツ帝国(神聖ローマ帝国)皇帝が、このアーヘン大聖堂で
戴冠式を行っています(1562年以降はフランクフルト)。
カール大帝は東ローマ帝国のバジリカ様式の聖堂を模した
平面プランが八角形で丸屋根の載った聖堂を建設しようと考えました。
この様式の建物としては、アルプス以北では最初に建設されたものでした。
建設は8世紀末の792年から始まりました。
完成までにはかなりの年月がかかり、内陣はゴシック様式で1355年に着工し、
完成はようやく1414年になってからで、カール大帝の没後600年を記念して献堂式が行われました。
献堂式とは、完成した教会を神に捧げる儀式のことです。

アーヘン大聖堂。中央のドームが架かる部分が宮廷礼拝堂。(2005.8.16)
最も古い部分は、西の塔の下の入口から入ってすぐのところにある
792年(または798年)から着工された「宮廷礼拝堂」(Pfalzkapelle/Chapelle palatine)です。
平面プランは八角形で、内径は16.54メートルです。
キリスト教では「8」は聖なる数字でもあり、同じような八角形の形をしたり八角形の塔を持つ聖堂は
数は多くはありませんが、ヨーロッパにはあちこちに存在します。
アーヘンの宮廷礼拝堂では、1階部分では八角形の各辺に半円形大アーチが開き、
2階部分では横幅は同じ大きさですが高さのある半円形アーチが開き、
その中に、小円柱に支えられた小アーチがアーケードとなって並びます。
1階部分と2階の半円形アーチ部分は、白黒の縞模様になっています。
このアーチ部分の縞模様は、遠く離れたイベリア半島(スペイン)のイスラーム建築にも
見られるものですが、影響関係は不明です。

八角形の宮廷礼拝堂と2階にある玉座(2005.8.16)
この八角形の宮廷礼拝堂の2階には、石で造られた「玉座」が置かれています。
6段もの石段を登って座るようになっています。
この石はギリシアから来た「パリス大理石」と言われるものです。
しかし大聖堂建設当時はこの石が、キリストが十字架に架けられて刑死した
イェルサレムから来たものであると信じられていたようです。
つまりキリストもひょっとしたらこの石に触れたり、その上を歩いたりしたかも知れない。
ということで、この玉座に座ったカール大帝は、地上におけるキリストとして、
そしてまた、キリストの神聖さを自分のものとすることが出来たのだと信じたと伝えられています。
ちなみに、この八角形の礼拝堂2階部分の小円柱は、
1794年にナポレオン軍がアーヘンを占領した時に16本をフランス・パリの
ルーヴル美術館のために持ち去りました。後に10本がドイツに返還されることになりましたが、
運搬の途中で2本が壊れてしまい、結局いまこのアーヘン大聖堂にある建設当時の柱は8本なのだそうです。
第2回 プレ・ロマネスクの世界(後半)に続く
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