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ヨーロッパ・アメリカ文明特殊講義D/ヨーロッパ文明特殊講義D

第3回/10月13日(火)/ロマネスクとは何か              
 
(※ページの画像がうまく読み込まれない場合は、再読み込みすると、ちゃんと表示されると思います)

※今回は前半・後半には別れていません。 

①ロマネスクとは何か                    
「ロマネスク」とは、中世の西ヨーロッパにおいて、
おおよそ11世紀(西暦1000年代)から12世紀(1100年代)にかけて、
もっぱらキリスト教の教会や修道院を中心とした、建築や彫刻、絵画、
その他に現れた文化・芸術様式のことです。


繁栄を極めた古代ローマ帝国も、4世紀からのゲルマン諸民族の侵入や、
うち続く内政の混乱によって、476年に滅亡します。


その後は、ローマ帝国内に移動して来たゲルマン諸民族の中の「フランク族」が
次々と他の部族を打ち破って、
「フランク王国」として西ヨーロッパ地域を再統一します。
彼らは古代末期からローマ帝国に広がっていたキリスト教に改宗し、
以後およそ1000年にもわたって続く、
中世キリスト教の時代が始まりました。

しかしながら、その「フランク王国」が拡大していた6世紀(西暦500年代)頃からの約500年は、
北からは
ヴァイキング(ノルマン人)が、東からはマジャール人が、
そして南からは
イスラーム帝国が、西ヨーロッパに次々と侵入し、略奪や破壊を繰り広げます。

そうした外敵によって、都市は破壊され、土地は荒れ、教会や修道院は略奪され、
人口も減りました。古代から受け継いできた文化的な遺産も多くが破壊、消滅しました。
上の図で赤く大きく
大混乱と記したところですね。


さて、そうした外敵の侵入も、11世紀(西暦1000年代の)初め頃になってようやく収まり、
比較的平和な状況が訪れ、農民たちは村に戻り、都市も次第に復興します。
政治もそれなりに安定し、商人たちによる商業も盛んになってきました(商業の復活)。

西ヨーロッパの力が復活してきたのですね。
それで、そろそろ
教会や修道院も新しく再建しようということになり、
11世紀後半くらいから、西ヨーロッパ中で一種の
教会建築ラッシュが起きました。
その時に、建築のお手本にしたのが、
「大混乱」の時代の前の時代、すなわち
古代ローマ文明の建築様式だったのです。
上の図の右端に
利用と書いたところです。「利用」または「お手本」ですね。

「ロマネスク」(romanesque)という言葉は英語ですが、
これは文字通り
「ローマ風の」という意味です。
フランス語では「ロマネスク」は、そのものずばり
「roman」です。
古代ローマをお手本として、そこから大きな影響をうけながら
キリスト教の教会建築を建てていったのです。


ロマネスク様式は、おおよそ11世紀(1000年代)~12世紀(1100年代)です。
13世紀(1200年代)からは、今度は
「ゴシック様式」になります。
以下、ロマネスクとゴシックの対比をしながら、もう少し説明しておきます。



②ロマネスクは修道院の芸術と言われる◆ゴシックは大都市に作られた   
いわゆる「ロマネスク建築」とか「ロマネスク芸術」といったものは、
「修道院」と密接な関わりがありました。
ロマネスクは「修道院の芸術」とも言われたりします。

「修道院」とは、「修道士」たちが共同生活を送る組織・施設のことです。
「修道士」になるには、
清貧・貞潔・服従の三つの誓い(修道誓願)を立てて、
ある特定の
「修道会」の会員とならなければなりません。
ある日突然「修道士になりたい」と思って修道院に行ってもなれるものではありません。

修道院では、修道士たちはイエス・キリストの精神にならって

「祈りと労働」の日々
を過ごします。
修道士は男性修道士の場合も、女性修道士の場合も、
修道士である限り
「独身」でなければなりません。
修道士たちは、世俗の生活や財産などを捨てて、修道院に入ります。
そして「世俗の外」で厳しい禁欲の生活を続けます。
なので修道院での禁欲を
「世俗外的禁欲」と言ったりします。
修道院の生活は、その修道会が定める
「戒律」のもとで、事細かく厳しく律せられています。
個人のわがままや勝手、欲望、物の所有などは禁じられています。
そして
修道院長の命令には絶対服従です。

こうした祈りと労働の場である修道院が、ロマネスクの世界を生み出し、花開かせたのでした。
ロマネスク時代(10~11世紀)には、多くの場合、修道院は街の中ではなくて、
街外れとか、へんぴな田舎とか、人里離れた山の中や谷の奥とかにありました。
罪にまみれ、喧噪に満ちた
都市の世界からなるべく離れた所に静かな祈りの場を作ったわけです。

なので、ロマネスクのすばらしい修道院建築とかを見に行くのも、
簡単に行ける所にはないことも多く、しばしば大変です。
クルマ(レンタカー)で1時間とか2時間とか山道を走ったり、
あるいはクルマの進入できない山道を、やはり1時間とか2時間とか
歩いて登らなくてはならなかったり。
村人に「ああ、あの修道院の礼拝堂はここから山道を歩いて片道4時間だよ」と教えられて
行くのを断念したこともあります。

さて一方、
ゴシックの大聖堂(カテドラル)は、大きな都市に建設されました。
へんぴな田舎にある大聖堂というものはありません。
例えばパリのノートル=ダム大聖堂は、パリのど真ん中にあります。
下の左側の写真のロマネスクの修道院は、ピレネー山脈の、歩いて片道1時間かかる山の上にあります。
それに対して右の写真はゴシックのランス大聖堂ですが、
ランスという大きな都市のど真ん中にあります。
 
サン=マルタン=デュ=カニグー修道院(ロマネスク)       ランス大聖堂(ゴシック)


なお、中世フランスの代表的な修道院である「クリュニー修道院」と「シトー修道院」については、
あらためて別の回(第7回と第12回)で、
またゴシックの大聖堂については第13回の授業で取り上げる予定です。



③ロマネスクは比較的小さい◆ゴシックは大きい              
12世紀のロマネスク建築は、ゴシックに比べると
比較的小さいです。
中にはフランス・ブルゴーニュのクリュニー修道院のようにすごく大きいものもありますが、
全体的には小~中規模です。
それに比べて
ゴシックはデカイです。
そのかわり、ロマネスクは小さいので、
「かわいい」ものが多いです。

 
(2014.3.9)                      (2001.8.14)


(2003.2.28)


上の写真は、北フランスのボーヴェという街にある
「ボーヴェ大聖堂」です。
非常に面白いのは、ロマネスク時代の大聖堂(左側)と、ゴシック時代の大聖堂(右側)が
二つ並んでいるところです。

左側の小さい方が、12世紀のロマネスクの大聖堂です。
それを取り壊して、13世紀に、新たに大きなゴシックの大聖堂を建てようということになって
工事が始まったのですが、途中で工事が止まってしまい、
古いロマネスクの大聖堂の取り壊しも途中で停止しました。
なので、
ロマネスクとゴシックの両方を同時に見ることができるというわけです。
この高さと大きさの違いを見て下さい。すごい違いですね。
ちなみに、このボーヴェのゴシックの大聖堂は、
ゴシック様式の内部の身廊部の高さが
世界で最も高く、48.5メートルもあります。

※ちなみに
「大聖堂」というのは、単に「大きな聖堂」という意味ではありません。
キリスト教の「司教」という偉い役職(ランク)の聖職者がいる聖堂のことを
「カテドラル」と言い、それを日本語で「大聖堂」と訳しているのです。


④ロマネスクのアーチは半円形◆ゴシックは尖頭形             
基本的に、ロマネスク教会で造られる
アーチは「半円形」です。
これは古代ローマの建築物の影響です。古代ローマ建築で使われるアーチはすべて
半円形です。
ところが
ゴシックのアーチは「尖頭形」になります。つまり「とんがっている」のです。

 

上の写真は、古代ローマのコロッセオ(左)と凱旋門(右)です。
両方とも
アーチは半円形、つまり「丸い」ですね。
下の写真は、左側がロマネスクの修道院。連続するアーチは丸いです。
右側は、
パリのノートルダム大聖堂(ゴシック)の後ろの、後陣側からの眺めです。
並んでいる窓はすべてとんがっています。

 

ロマネスクとゴシックが、ひとつの教会の中に同時に併存している例もあります。
フランスではありませんが、ベルギーのトゥルネーという街にある
大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Tournai)です。
 ←トゥルネー大聖堂

もともとは12世紀に建てられたロマネスク様式の大聖堂でした。
写真だと左端から中央の塔の部分までです。
しかし13世紀に東(右)の部分を取り壊して、新たにゴシック様式の内陣に建て替えました。
なので塔から西(左)は、比較的小さく、しかもアーチは半円形です。
しかし新たに建て替えられた右側のゴシックの部分は、
アーチがとんがった尖頭アーチとなっています。建物の高さも高いです。

下に並べたのはユーロ紙幣です。
10ユーロ札の図柄は、ロマネスク建築の半円アーチです。
20ユーロ札の図柄は、ゴシック建築の尖頭アーチです。
今度ヨーロッパに行ってユーロ紙幣を使う時には、
ロマネスクとゴシックの図柄をよく見てみて下さい。







⑤ロマネスクは壁が分厚くて窓がない◆ゴシックは壁が薄くて窓だらけ   
ロマネスクの教会建築は、
壁それ自体で建物全体が崩れないように支えようとします。
なので
壁はとてもぶ厚いし、強度を保つためになるべく窓を少なくします。
そして壁の外部に、
直接建物を支える柱(扶壁)をつけます。

ロマネスク様式では、それまで
木造であった建物の天井が石造りに変わります。
石造りなので、当然石の重さで崩れやすくなります。

下の図は、ロマネスク様式の教会の「断面」を簡略化したものです。
石造りの天井は「半円アーチ」です。
このように曲面を描く(アーチ状の)天井のことを
「ヴォールト」と言います。

アーチ(ヴォールト)を組む石の形は正方形とか長方形ではなく、
「扇形」です。
例えばこのアーチの一番上の頂点の扇形の石は、
当然ですが重力のために「下」に落ちようとします。
その際この石は、
自分の左右の石を両側に「押し開いて」落ちることになります。

逆に言うと、左右の石が両側に向けて開きさえしなければ、
この頂点の石は下に落ちない、ということになります。
なので、ロマネスク建築では、建物の壁が
左右に開かないように
石自体の厚さと重さでガッチリと固定するわけです。
しかもそれでも足りないかのように、左右両側の壁の、さらにそれぞれ外側に
「扶壁」という壁を補強するための柱を、直接付けるのです。


下の写真のロマネスクの教会(サン=タンドレ=ドゥ=ミトロワ教会)の
側面は、
ほとんど「壁」です。
窓はほんのわずかしかありません。
そして壁面には補強のための柱(扶壁)が直接ついています。
こうした「扶壁」のことを、フランス語で
「コントルフォール」(contrefort)と言います。
英語では「バットレス」(Buttress)と言います。

アルデッシュ県、サン=タンドレ=ドゥ=ミトロワ教会(ロマネスク、2005.3.2)


次の写真は南フランス、ヴァール県にある
ル・トロネ修道院(シトー修道会)です。
ロマネスク後期のものです。建物の横を見ましょう。
全部「壁」です。
窓がまったくありません。なので、中に入るととても暗いです。
壁には「扶壁」はありませんが、横の壁の一段低くなったところに
内部が側廊になった建物が南北に付いていて、それが強力な扶壁の役割を果たして、
中央の身廊の崩落を防いでいるわけです。
なおこのシトー修道会のフランス各地の聖堂建築については、第12回で取り上げる予定です。

ル・トロネ修道院(2001.8.27)


さてロマネスクが壁の厚さと扶壁で建物の強度を保っていたのに対して、
ゴシックになると、外壁から少し離れた所に別に独立した柱を立てて、
そこから壁を支える
バットレス(扶壁)を、まるで橋を架けるように付けます。
これを建築用語で
フライング・バットレス(飛び梁)と言います。
おかげで壁自体を厚くする必要がなくなり、
すごく薄くして、窓もたくさん開けるようになりました。
そしてその大きな窓に
ステンドグラスをはめたのです。
その大きな窓から「光」が聖堂内にあふれます。
ロマネスク教会は中が暗いですが、ゴシックの大聖堂は中はとても明るいものが多いです。

 
ゴシック建築の「フライング・バットレス」    ボーヴェ大聖堂内陣のヴォールト(2003.2.28)
ナルボンヌ大聖堂(オード県)                      


上の右側の写真は、先ほども紹介したゴシックのボーヴェ大聖堂の内部を、
下から上の天井を見上げたものです。
よく見て下さい。天井を支えているのは、もはや「壁」ではありません。
というか
「壁」というものがまったくないのです。
下から延びる柱だけが天井を支えています。天井の下には
柱と窓しかありません。
ゴシック建築の構造についての詳細は、第13回の授業で説明する予定です。



⑥ロマネスク教会には不思議な彫刻装飾が多い               

最後に、ロマネスク教会の特徴として挙げられるのは、動植物の彫刻が多いと言うことです。
前回の「プレ・ロマネスク」の時代の彫刻は、単純な線刻的な植物文様でした。
例えば下の写真は、前回紹介した南仏のヴナスクの洗礼堂にある柱頭彫刻です。
6世紀頃の古いものでした。
←ヴナスク(Venasque)

しかしこれがロマネスク時代になると、植物はさらに生き生きしたものになり、
彫刻されるテーマも
聖書のさまざまな物語から選ばれるようになります。
つまり
人間や動物たちが現れるのです。
下の写真はともにブルゴーニュ地方のロマネスクの柱頭彫刻です。
 
   
ヴェズレー「淫欲と悪魔」(2004.8.11)     クリュニー「音楽を奏する人」(2009.3.20)


ロマネスクの彫刻の特徴のひとつとして挙げられるのが、不思議な彫刻が多いということです。
説明したり解釈したりすることがとても不可能なものもたくさんあります。
もちろんキリスト教の教義にちなんだものや、聖書に題材を取ったものもたくさんあります。
しかしまた同時に、キリスト教の教義では決して説明できない
「いったいなんだこりゃ~?」みたいな
奇妙キテレツな彫刻もあふれていたりします。
今は下の2枚の画像だけにして、詳しくは第10回の授業の時に説明します。

 
 (2013.3.13)                     (2018.9.25)


今回は以上です。
次回は、ロマネスクに対する古代ローマ文明の影響について説明します。

★今回は、小コメントなどの提出はありません。

★次回は10月20日(火)の午前中(9~10時頃)に、
第4回目の授業内容をこのサイトにアップします。
 http://languedoc.nn-provence.com/ にアクセスして下さい。


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【今回の授業の参考文献】
饗庭孝男『世界歴史の旅/フランス・ロマネスク』山川出版社、1999年。
饗庭孝男『ヨーロッパ古寺巡礼』新潮社、1995年。
馬杉宗夫『ロマネスクの美術』八坂書房、2001年。
越宏一『ヨーロッパ中世美術講義』岩波書店、2001年。
越宏一『ヨーロッパ中世美術史講義・中世彫刻の世界』岩波書店、2009年。
櫻井義夫・堀内広治『フランスのロマネスク教会』鹿島出版会、2001年。
柴田三千雄・樺山 紘一・福井 憲彦ほか編著『世界歴史大系/フランス史1・先史~15世紀』
辻本敬子・ダーリング益代『図説ロマネスクの教会堂』河出書房新社、2003年。
長塚安司責任編集『世界美術大全集 西洋編8・ロマネスク』小学館、1996年。
前川道郎『聖なる空間をめぐる フランス中世の聖堂』学芸出版社、1998年。
柳宗玄『柳宗玄著作選4・ロマネスク美術』八坂書房、2009年。
アンリ・フォション『ロマネスク彫刻・形体の歴史を求めて』辻佐保子訳、中央公論社、1975年。
アンリ・フォション『西欧の芸術1・ロマネスク』上下巻、神沢栄三ほか訳、鹿島出版会、1976年。
エミール・マール『ヨーロッパのキリスト教美術』上下巻、柳宗玄・荒木成子訳、1995年。
エミール・マール『ロマネスクの図像学』上下巻、田中仁人ほか訳、国書刊行会、1996年。
デュビィ&マンドルー『フランス文化史1』前川貞次郎ほか訳、人文書院、1969年。
ル・ロワ・ラデュリ『ラングドックの歴史』和田愛子訳、文庫クセジュ、白水社、1994年。
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                          Éditions du Rocher, 2006.
BONVIN, Jacques, Dictionnaire énergétique & symbolique de l'art roman, Mosaïque, 1996.
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