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ヨーロッパ・アメリカ文明特殊講義D/ヨーロッパ文明特殊講義D

第5回/教会建築におけるキリスト彫刻の誕生        

(※ページの画像がうまく読み込まれない場合は、再読み込みすると、ちゃんと表示されると思います)

※本日の内容のうち②と③は、春学期の「西ヨーロッパ地域研究」と
重複がありますが、ご了解下さい。
 

①人像の否定とキリストの象徴                     
キリスト教の歴史にあって、最初の頃はイエス・キリストをはじめ、人間を像を絵画や彫刻にして
それを崇拝するということは、少なくとも大っぴらには禁じられていました。
キリスト教の母体となったのはユダヤ教ですが、そのユダヤ教の聖典でもある『旧約聖書』には、
人像を否定する記述があります。

   「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、
    下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、
    どんな形をも造つくってはならない。それにひれ伏してはならない。
    それに仕えてはならない。」(『出エジプト記』第20章4-5節)

   「あなたがたは自分のために、偶像を造ってはならない。
    また刻んだ像も石の柱も立ててはならない。またあなたがたの地に石像を立てて、
    それを拝んではならない。」(『レビ記』第26章1節)

なのでキリスト教徒たちは、イエス・キリストを直接描いたり彫刻するのではなく、
それを間接的に表現する記号・象徴を用いて、それを教会や墓石に彫刻しました。
古代の間はキリスト教徒に対する迫害などもあったので、それを逃れるために
キリストのイメージを直接表現するのを避けた、ということの名残りもあったのかも知れません。


◆まず、例えば
「羊」(神の子羊)です。
『ヨハネによる福音書』の第1章29節に、
イエスのことが「世の罪を取り除く神の小羊」と書かれています。
羊は一般にキリスト教徒を表しました。特に複数の羊の群れは、キリスト教徒一般を表しましたが、
特に1頭だけ、しかも十字架とともに表現される場合は、キリストを表しました。

  
Église St-Michel, Salon de Provence(2008.8.18)      Musée du Louvre, Paris(2019.3.18)


◆次に
「魚」もキリストを表す記号のひとつでした。
ロマネスク教会の外壁や聖堂内部に魚が彫刻されているのを目にします。
いったいなぜ「魚」なんだろうと思ってしまいますが、
ギリシア語の「魚(イクトゥス)」はイエス、キリスト、神、子、救い主の5つの頭文字を
並べたものと一致したのです。まるで暗号みたいですね。
  
Église Saint-Martin de Chambonas(2007.3.15)       Église Jou-sous-Monjou(2018.10.3)


◆キリストを表す象徴・記号で最も多く目にするのが
「クリスム」と呼ばれるものです。
これはアルファベットの
「P」と「X」を組み合わせたものです。
ヘブライ語の「メシア(救世主)」のギリシア語訳 Χριστος (「XPICTOC」クリストス)
の最初の2文字「XP」で略したものです(または最初の3文字とも言われる)。
なので正確には英語読みの「ピー」と「エックス」ではなくて
ギリシア語で
「カイ(X)」と「ロー(P)」と読みます。
そしてこの「クリスム」には、しばしばやはりギリシア語の
「アルファ(A)」と「オメガ(ω)」が伴います。
「アルファ」はギリシア語のアルファベットの最初の文字、「オメガ」は最後の文字です。
つまり「アルファ」と「オメガ」は、ギリシア語のアルファベットの、
それぞれ最初と最後の文字です。これは『ヨハネの黙示録』第22章13節に
「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。
初めであり、終りである。」とあることを受けています。
「初めであり、終わりである」というのは、
つまり結局
「この世界の全てである」ということですね。
 
キリスト教徒の石棺/Musée Saint-Raymond, Toulouse(2009.8.18)


6世紀のキリスト教徒の石棺/Musée Rolin, Autun(1998.8.17)

※なお、コンピューターの基本ソフト
WindowsXPの「XP」は、
マイクロソフト社によると「eXPerience」のXPで、
キリストとはまったく関係ないとのことです(笑)。



②サン=ジェニ=デ=フォンテーヌ修道院教会のリンテル彫刻               
こうして信者たちは、キリストを表す象徴や記号を、キリスト像の代わりに使っていました。
偶像崇拝につながりかねないとして、キリストの像を直接拝むことを避ける時代が
11世紀初め頃まで続きました。
それでもまだキリストを表した壁画、写本などの図像、象牙の浅浮き彫りなどは、
そう多くはないものの制作されていました。
キリストが十字架に架けられて刑死する様子を表した「磔刑像」なども、
三次元的・立体的な像なので、ごくわずかしかありませんでした。
西ヨーロッパ最古の木製で等身大の十字架像は、
ケルン大聖堂の「ゲロ・クロイツ Gero-Kreuz/Gero Cross」で
970年頃のものとされています(リンクを貼ってあるので見て下さい)。
三次元的・立体的なキリスト像の最初の例として、この「ゲロ・クロイツ」は、
後の時代の大彫刻の最初の成立と言えるかも知れません。


さて、教会建築・聖堂建築における最初のキリストの彫刻が、11世紀初めに、
南フランスのピレネー地方、今の東ピレネー県の
サン=ジェニ=デ=フォンテーヌに現れます。
教会の壁に、キリストの彫刻を置くというのは、これが初めてのことでした。
実際には「最初のもの」ではないのかも知れませんが、
少なくとも現在知られるものの中では最古のものです。

サン=ジェニ=デ=フォンテーヌは、東ピレネー県でも、かなり南の方に位置し、
スペイン国境にも近い小さな街です。ここに街の名前と同名の
サン=ジェニ=デ=フォンテーヌ修道院(Abbaye de Saint-Génis-des-Fontaines)があります。
すぐ下(南)は、スペインです。


東ピレネー県だけをもっと拡大すると次の地図になります。
赤い矢印と星印で示したところがサン=ジェニ=デ=フォンテーヌです。


もともとここには、最初サンティミールという僧侶によって建てられた
9世紀(800年代)の古い修道院と教会がありました。
しかしノルマン人(ヴァイキング)の侵略によって破壊されてしまいました。

10世紀(900年代)になって、このルシヨン地方を支配していたルシヨン公ゴーフレ1世が
修道院と教会の再建を始めました。その工事は11世紀~12世紀にかけて進められました。
1088年、ローマ教皇ウルバヌス2世の決定により、ブルゴーニュ地方に本拠地のあった
クリュニー修道院に所属することとなりました。
その後、1435年、ローマの教皇の決定により、スペインのモンセラート修道院と合併しました。

さて、このサン=ジェニ=デ=フォンテーヌ修道院教会は、実はロマネスクの歴史においては、
上で説明したように
教会建築における「キリスト彫刻誕生の地」として
極めつきに重要な存在なのです。
 
(2005.3.20)                       (2017.8.11)

上の写真(左側)は、サン=ジェニ=デ=フォンテーヌ修道院教会の西ファサード(正面)
の入口の扉口です。何の変哲もない壁に見えます。
右側は、その扉口のところを拡大した写真です。
赤い矢印で示したところに、
有名な「リンテル」(縦の柱の上に横に置かれた横長の石)があります。

サン=ジェニ=デ=フォンテーヌのリンテル(2005.3.20)

このサン=ジェニ=デ=フォンテーヌ修道院教会の西ファサード(西正面)のリンテル彫刻は、
繰り返しですが、現在分かっているうちで、
歴史上初めて教会の外壁にキリストの姿が彫刻された最古の例です。
リンテル上部にラテン語の碑文が刻まれており、
そこに「敬虔王ロベールの統治24年目に、この作品は作られた」とあるので、
このリンテルが、
1019年10月~1020年10月の間の作品であると分かるのです。
年代の知れる
ロマネスクの扉口彫刻最古のものなのです。
ちなみに「敬虔王ロベール」とは、カペー朝第2代のフランス国王
ロベール2世(Robert II/在位996-1031年)のことです。


リンテル全体は、唐草文様によって額縁のように四角くかたどられています。
中央には「祝福するキリスト」(あるいは「荘厳のキリスト」の形をした「キリスト昇天」)が彫刻されています。
これらは『聖書』(とりわけ『ヨハネの黙示録』)に出てくるテーマです。

リンテルの中央・キリスト部分の拡大

ヒゲをはやしたキリストの頭の後には
「光輪」が見えます。
その表情は、穏やかでいかにも優しそうです。
右手で祝福を与え、左手に聖書を持っています。
天上界を象徴する上部の円球と地上界を象徴する下部の円球が8の字に交差しています。
その2つの円の両方にまたがって座っているキリストは、
神性と人間性を同時に兼ね備えた存在です。
キリストのすぐ左右には、アルファ(Α)とオメガ(ω)が見えます。
アルファとオメガは、上で既に説明したように、
ギリシャ語のアルファベットの最初と最後の文字です。
つまり「キリストはすべてのものの初めであり終わりである」ということを示しています。

キリストが座る2つの円球(輪)を二人の天使が支えています。
また、その天使のそれぞれ両側には、馬蹄形アーチの中に6人の使徒たちが並んでいます。
まるで
「こけし人形」のようです。
 

アンリ・フォション(Henri Focillon, 1881-1943年)というフランスのロマネスク研究家はかつて、
ロマネスク彫刻は
枠組の法則に従っている、と主張しました。
ロマネスクの彫刻は、それが置かれている背後の建築空間が提供する
「枠組」に従って変化するというのです。
言い換えれば「枠組」にしばられている、ということです。
そしてその「枠組」の内部空間を、彫刻でびっしりと埋め尽くしたのです。
確かにこのリンテルでは、キリストの両側に並ぶ使徒たちは、柱とアーチで作られた
「枠組み」の中に、あたかも「こけし人形」のように体を縮めて収まっています。
「枠組み」に合わせて無理矢理に三頭身くらいに縮まっています。
なお、キリストも使徒たちも、衣類のシワまで細かく表現されていることにも注目しましょう。


こうして、このサン=ジェニ=デ=フォンテーヌ修道院教会の西ファサードのリンテル彫刻は、
「西欧彫刻史上の一大事件」とか「キリスト像表現の歴史の重大な一時期」などと言われるのです。


③タンパンへのキリストの登場/アルル=シュル=テッシュのサント=マリー修道院教会   
東ピレネー県のさらに西へ入ったところに
アルル=シュル=テッシュ(Arles-sur-Tech)という街があります。
場所は下の地図の星印のところです。


そこのサント=マリー修道院教会(Abbaye Ste-Marie)にも注目すべき彫刻が残されています。
下の写真の右側の赤い矢印で示したところです。
 
                サント=マリー修道院教会(2015.8.19)


キリスト教の教会・聖堂のポルタイユ(入口・扉口)を飾る彫刻は、
上で見たサン=ジェニ=デ=フォンテーヌ以降、
小規模なものが少しずつあちこちで作られていくのですが、
ここアルル=シュル=テッシュでは、教会の扉口の上に付けられた
半円形の
「タンパン」と呼ばれる部分に、初めて彫刻装飾が現れるのです。
この聖堂は、1046年にナルボンヌ大司教ギフレッドによって建設され、神に献堂されました。
西ファサードのタンパン彫刻の制作も同じ
1046年と言われています。
サン=ジェニ=デ=フォンテーヌの扉口のリンテル彫刻の少し後の時代になります。
 

上の写真の左側は、ポルタイユ(扉口)の全体、右側は半円形の「タンパン」に付けられた
キリストと4人の「福音書記者」(エヴァンゲリスト)の彫刻の拡大です。
←荘厳のキリスト(拡大)

このタンパンの彫刻では、十字架の形の中央に、アーモンド形の聖なるマンドーラ(光背の光)の中に
「荘厳のキリスト」がいます(↑上の写真)。
キリストは右手で祝福を与え、左手に聖書を持っています。
先のサン=ジェニ=デ=フォンテーヌのキリストと同じポーズですね。

「荘厳のキリスト」(マイエスタス・ドミニ/Majestas Domini)とは、
別名「栄光のキリスト」とも言い、新約聖書の『ヨハネの黙示録』(特に第4章)の中で
語られるキリスト出現の様子を表しています。玉座に坐したキリストは大型の光輝く光輪に包まれ、
四福音書を書いたとされる4人の福音書記者の象徴である4つの生物 (テトラモルフ) に囲まれています。
このほかに天使、預言者たちが従い、ときに 24人の長老が配されます。
そしてキリストはその後で「最後の審判」を行います。

アルル=シュル=テッシュのタンパンでは、
キリストの周囲(上下左右)に4つのメダイヨン(輪)が置かれ、
その中に4人の福音書記者を表すイメージが彫刻されています。
4人の「福音書記者」とは、イエスの行いや言葉を記した『新約聖書』の中の4つの福音書、すなわち
『マルコの福音書』『マタイの福音書』『ルカの福音書』『ヨハネの福音書』
の作者であると言われている人物たちです。

教会の彫刻などで、4人の福音書記者が表される場合は、次のように表現されます。
ヨハネ:ワシ
マタイ:人間(あるいは天使)
マルコ:ライオン
ルカ:雄牛

新約聖書の
『ヨハネの黙示録』第4章に、
この4つの生き物についての記述が出てきます。

  この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。
  第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、
  第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。
  この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。
  彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。
  「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
   全能者である神、主、
   かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
           (『ヨハネの黙示録』第4章第4節-第8節)

             
                   ヨハネ:ワシ
       
    マタイ:人間(または天使)                マルコ:ライオン
             
                   ルカ:雄牛


④タンパンとリンテルの両方への人像の出現/シャルリューのサン=フォルテュネ修道院教会  
②サン=ジェニ=デ=フォンテーヌも、③アルル=シュル=テッシュも、
11世紀(西暦1000年代)初め頃のもので、キリストその他の人物像は、
どちらかと言うとまだ小規模で控えめなものでした。
しかしそれが少しずつ大々的なものになっていきます。
中部フランス・
オーヴェルニュ地方のシャルリュー(Charlieu)にある
「サン=フォルテュネ修道院教会」(Église abbatiale Saint-Fortuné)は、
人物像が、
西ファサードのリンテルとタンパンの両方に同時に現れた最初の例です。

  
                     
 Église abbatiale Saint-Fortuné(2018.9.28)北ファサード


シャルリューの「サン=フォルテュネ修道院教会」は、
1100年頃に完成したベネディクト派の修道院付属聖堂です。残念なことに1800年にかなりの部分が
破壊されてしまったのですが、12世紀のロマネスク時代のナルテックスと北ファサードのポルタイユは
残されています(上の写真右側)。このポルタイユのタンパンとリンテルの彫刻もすばらしいのですが、
いま問題なのは、このポルタイユから中に入ってすぐ左(東)側にある、
「ナルテクス」のポルタイユとその彫刻です。

ナルテクスというのは、聖堂の一部ですが、主身廊に入る手前にある、
いわば控えのためのロビーのような区画です。
中世においては、まだ洗礼を受けていない者が入れるのは、このナルテクスまでで、
身廊の中には入れませんでした。

この12世紀初めのナルテクスのポルタイユ(扉口。↓下の写真)は、
4重の半円形アーチからなる大きなアーキヴォルトと、
それを支える円柱と角柱の組み合わせから構成されています。
そしてその4重のアーチの内側には、横長のリンテル(まぐさ石)と、
その上に載る半円形のタンパンがあります。
半円形のタンパンは、直径が3メートル以上あり、さらにそれを支えているリンテルは
タンパンよりも左右に長くなっています。
(2018.9.28)

上の写真のタンパン部分の拡大が次の写真になります。
例えば上の③アルル=シュル=テッシュでは、半円形のタンパンの中に、
ごく小さく埋め込まれていたキリスト像が、ここシャルリューでは、
タンパンの中央にアーモンド形の光背とともにデカデカと現れています。
頭には光輪が付き、右手を挙げて世界を祝福しています。
左手は失われていますが、おそらくは聖書を持っていたのでしょう。
キリストの光背は左右両側から天使が支えています(残念ながらキリストの顔は失われています)。
←タンパンとリンテル(拡大)

そして横長のリンテルは、12の小さなアーチに等分され、その中に
十二使徒が座っています。
十二使徒たちの体は3頭身くらいなので、アーチとそれを受ける小円柱が形作る「枠組み」の中に
身を縮めているのが分かります。先に説明した
「枠組みの法則」ですね。

使徒たちの顔もキリストと同じく失われて(削り取られて)いるのでその表情は分からないのですが、
それぞれ頭には光輪が付き、ひざの上に右手で聖書を持ち、左手を上に掲げています。
これは『ヨハネの黙示録』で書かれている
「荘厳のキリスト」(栄光のキリスト)の到来(再臨)を、
喜びの声を上げて迎えているのです。
←リンテル部分の拡大


このナルテクスのポルタイユ彫刻は先にも触れたように、
1100年頃のものです。
ロマネスク芸術が大きく開花する12世紀の、まさに
最初の入口に位置しているものです。
ロマネスク盛期の
大規模で「モニュメンタル」な大彫刻を予感させるものとなっています。
キリストの光背を支える天使の周囲には、まだ何も彫刻されていない「空白部分」が見られます。
12世紀が進み、ロマネスク彫刻がさらに大きく、華々しく制作され、「モニュメンタル」な作品が
現れるようになると、こうした「空白部分」はすべて、
何らかの彫刻装飾で埋められていくようになるでしょう。




本日は以上です。
次回は「モニュメンタル彫刻の誕生・モワサックとベアトゥス『黙示録』写本」です。

11月10日(火)の午前中(9~10時頃)に、
第6回目の授業内容をこのサイトにアップします。
 http://languedoc.nn-provence.com/ 
にアクセスして下さい。

★第2回~第4回についての小コメント締め切りは10月31日(土)です。
忘れないで提出(送信)して下さい。



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【本日(第5回)の授業の参考文献】
饗庭孝男『世界歴史の旅/フランス・ロマネスク』山川出版社、1999年。
饗庭孝男『ヨーロッパ古寺巡礼』新潮社、1995年。
馬杉宗夫『ロマネスクの美術』八坂書房、2001年。
櫻井義夫・堀内広治『フランスのロマネスク教会』鹿島出版会、2001年。
柴田三千雄・樺山 紘一・福井 憲彦ほか編著『世界歴史大系/フランス史1・先史~15世紀』
辻本敬子・ダーリング益代『図説ロマネスクの教会堂』河出書房新社、2003年。
長塚安司責任編集『世界美術大全集 西洋編8・ロマネスク』小学館、1996年。
柳宗玄『柳宗玄著作選4/ロマネスク美術』八坂書房、2009年。
アンリ・フォション『ロマネスク彫刻・形体の歴史を求めて』辻佐保子訳、中央公論社、1975年。
アンリ・フォション『西欧の芸術1・ロマネスク』上下巻、神沢栄三ほか訳、鹿島出版会、1976年。
エミール・マール『ヨーロッパのキリスト教美術』上下巻、柳宗玄・荒木成子訳、1995年。
エミール・マール『ロマネスクの図像学』上下巻、田中仁人ほか訳、国書刊行会、1996年。
ル・ロワ・ラデュリ『ラングドックの歴史』和田愛子訳、文庫クセジュ、白水社、1994年。
DROSTE, Thorsten, La France romane, Les Éditions Arthaud, 1990.
DURLIAT Marcel, Roussillon roman, Zodiaque, 1986.
DURLIAT Marcel & ALLÈGRE Victor, Pyrénées romanes, Zodiaque, 1978.
MALLET, Géraldine, Églises romanes oubliées du Roussillon, Les Presses du Languedoc, 2003.
POISSON, Olivier, Promnades en Roussillon roman, Itinéraires culturels, Zodiaque, 2003.
RIBÉRA-PERVILLÉ, Claude, Chemins de l'art roman en Midi-Pyrénées, Éditions Ouest-France, 2008.
VIVIER, Julie, & LAPIQUE Sylvain, Guide des Pyrénées romanes, Éditions Privat, 2011.
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