オンライン授業
ヨーロッパ・アメリカ文明特殊講義D/ヨーロッパ文明特殊講義D
第6回/ロマネスクのモニュメンタル彫刻の誕生
~モワサックとベアトゥス『黙示録』写本
※今回は、大きめの画像が何枚もあるので、スマホとかではなくパソコンで閲覧することをオススメします。
前回は、中世の前半10世紀くらいまでは、偶像崇拝の危険から大っぴらにキリストの像を
教会建築の目立つところに彫刻することは控えられていたが、11世紀に入る頃から、
次第にそれが行われるようになったという話をしました。
とりわけ教会のポルタイユ(出入口/扉口)、そしてポルタイユの「タンパン」部分に、
キリストの像が現れるようになりました。
そしてとうとうそれが、教会のポルタイユにおいて、大規模に堂々と、彫刻されるようになります。
それまでの控えめな態度がまるでウソのように、威厳を持った栄光に輝くキリストが、
ポルタイユの上から、見るものを、まるで天上の王のように見下ろすようになります。
こうした大規模で堂々とした彫刻を「モニュメンタル」な大彫刻と言います。
教会の扉口(ポルタイユ)の大規模な大彫刻(モニュメンタルな彫刻)の出現は、
南フランスのモワサック(Moissac)に始まるとされます。
このようなモニュメンタル彫刻の南仏発祥説を唱えたのは、
エミール・マール(Emile Mâle、1862-1954年)でした。
以下、エミール・マールの説に従って、フランスにおけるモニュメンタル彫刻の出現と展開
について見ていきます。
1.モワサック:モニュメンタルなポルタイユ彫刻の誕生
モワサック(Moissac)は、南フランス・オクシタニー地域圏の
タルヌ・エ・ギャロンヌ県(Tarn-et-Garonne)に位置しています。
街の規模はさほど大きなものではありませんが、
ここにあるサン=ピエール修道院(Église Saint-Pierre、特に付属聖堂とクロワトル)は、
ロマネスク建築の大作として、フランス国内のみならず、世界的にも有名です。

◆歴史
最初は7世紀にベネディクト派によって建設されました。
もっと早く、6世紀中頃にノルマンディから来た聖アンスベールらが建てたとの説もあるようです。
8世紀(737年)にイスラムの侵攻によって初期の建物は破壊され、
さらに9世紀にはノルマン人によって修道院が破壊されました。

モワサック、サン=ピエール修道院全景(絵はがき) サン=ピエール修道院教会の南ファサード(2003.8.28)
1047年にクリュニー修道会の傘下に入り、1059年にはクリュニーから
修道院長としてドゥランドゥス(デュラン・ド・ブレドン。トゥールーズ司教兼務)が送られています。
現在残る聖堂の建物が完成して聖別(献納)されたのは1063年のことでした。
1080年には火災に見舞われた記録が残っています。
1098年にクロワトル、すなわち内庭(中庭)回廊が完成しました。
1辺約40メートルの正方形という大きなもので、12世紀以降、ヨーロッパ各地で模倣されました。
1115~1131年、修道院長ロジェール(ロジェ)の時に、鐘楼とポルタイユが完成します。
ただしそれは1085~1115年という見方もあります。
1210年頃、南仏で拡大した異端カタリ派に対する討伐軍であるアルビジョワ十字軍によって
中庭が部分的に破壊されています。
さらに14世紀には、英仏百年戦争で被害を受けました。
さらに荒廃に追い打ちをかけたのが、1789年に起こったフランス革命でした。
◆建築/南側ポルタイユのタンパン彫刻
モワサックのサン=ピエール修道院教会で、
最も有名なのは南側ファサードに開くポルタイユ(扉口)の彫刻です。
とりわけ「タンパン」のそれは、まことに中世ロマネスクにおける「モニュメンタル彫刻」の
代表とも言える大作です(右上の写真の赤い矢印のところ)。
制作されたのは1130年頃と考えられています。
ポルタイユ(扉口)は、三重のアーキヴォルト(アーチ帯)の内側に、半円形のタンパンがあり、
その下には大きくて丸い花弁彫刻(円花文)が並ぶ横長のリンテル、そしてタンパンとリンテルを、
中央柱(トリュモー)と左右の丸いギザギザ形の側柱が受け止めています(下の写真↓)。

モワサックのサン=ピエール教会・南ポルタイユ全景(2003.8.28)
タンパンのテーマは、新約聖書『ヨハネ黙示録』の第4章~第5章で語られる「キリストの再臨」です。
あるいは「荘厳のキリスト」とか「栄光のキリスト」などとも言います。
「ロマネスク様式のすばらしい傑作、美を越えて神秘の領域に達している」と言われたり、
あるいは「モワサックの黙示録ほどに絢爛たる表現は他に例を見ない」とも言われたりします。
『ヨハネ黙示録』には次のように書かれています。
玉座の周りには24の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。[…]また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいた。[…]またわたしは、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た(『ヨハネの黙示録』第4-5章) |

タンパン全景(2003.8.28)
キリストは、「四つの生き物」に囲まれて中央上段に威厳をもって座っています。
このタンパンの中で、キリストだけが正面を向いています。
その頭の背後にはギリシア十字の光輪が輝き、顔立ちもオリエント的です。
右手で祝福し,左手に書物を持ち,その目は聖堂に入ろうとする人々を凜と見下ろしています。
「四つの生き物」は4人の福音書家(四福音書記者)を象徴していて、
足元にマルコを象徴する有翼獅子、ルカの有翼雄牛、上はマタイの有翼人間、ヨハネの鷲がいます。
さらにその両脇には天使が立っています。

タンパン中央のキリスト(2018.6.21)

キリスト(拡大)(2018.6.21)
彼らの足元には水晶に似た海と形容されたものが水平にたなびいています。
キリストの玉座を取り巻いて整然と3段構えで24人の長老たちが腰掛けに座っています。
彼らは頭に王冠をかぶり、手にはヴィオール(古い弦楽器)と杯(香の入った鉢)を持っています。
そして洸惚とした表情で、下から上にいるキリストを仰ぎ見ています。
彼らの楽器と杯の持ち方や姿勢は、それぞれ異なっています。

24人の長老たち
タンパンおよびリンテルを受け止める中央柱には、正面にはライオンが上下に交差しながら並んでいます。
向かって右側の側面(横面)には、聖エレミヤ(預言者エレミヤ)が彫刻されています。
エレミヤは、旧約聖書の『エレミヤ書』に登場する古代ユダヤの預言者です。
紀元前7世紀末から紀元前6世紀前半の、バビロン捕囚の時期に活動しました。
『エレミヤ書』は四大預言書のひとつとされています。
彼は預言を記した巻物を持ち、頭を大きく左に傾けて悲しみに沈んでいます。
そのまなざしは深い憂いに満ちています。
脚を交差させたエレミアの全身は、異常なまでに縦に細長く引き伸ばされて、足を交差させています。
腰から下の足の部分がとても長くなっていて、13~14頭身くらいでしょうか。
えぐれた曲線の突出部に合わせて、頭、肘と腰、膝、爪先がアクセントを付けていて、
柱の長方形枠にうまく適応し、流れるような髪と長い髭、憂いのある瞳で、首を少し傾げ,
ほとんど石の中に溶け込んでしまいそうです。
丁寧に筋目の入った頭髪や髭、襟飾りや王冠の装飾の繊細な彫り、
とくにすらりとした体つき、交脚、爪先で立って踊るような身振りが、ラングドック彫刻の特徴だと言えます。
優雅であるとともに、また精神的な深さを表したこのエレミア像は、
モワサック芸術の最高峰に達したものであるとも言われています。
中央柱の向かって左側の側面には、使徒である聖パウロがいます。
パウロもまた縦に長く引き延ばされていて、手紙を記した書物を片手に持ち、
残る手を大きく大きく広げて信者を導いているようにも見えます。
そのまなざしは強い意志にあふれています。
これもまたモワサックの芸術の到達点を示したものであると言われています。

中央柱正面 右側面・預言者エレミア 左側面・聖パウロ

預言者エレミア(拡大)(2018.6.21) 聖パウロ(拡大)(2018.6.21)
◆クロワトル(内庭回廊)
モワサックで南ポルタイユの彫刻と共に、やはりとても有名なのはクロワトル(内庭回廊)です。
このクロワトルは「威厳に満ちた聖堂とは対照的に詩情の漂う美しい瞑想空間」と言われます。
1110年頃の建設で、一辺約40メートルの正方形の非常に大きな回廊です。アーチは計76あります。

モワサックのクロワトル(グーグルアース)

モワサックのクロワトル(2003.8.28)
柱頭彫刻は、純粋に装飾的なものと、聖書的主題が交替して並んでいます。
装飾的なものは、花・葉・動物・蛇・鳥などがあり、オリエント・イスラム的要素が感じられるものです。
鋭敏な抽象感覚に優れた装飾性が認められます。
このクロワトルには、修道院長ドゥランドゥス(生年不明~1071年)の大理石の立像浅浮彫もあります。

ライオンの穴の中のダニエルの柱頭 植物文様の柱頭

モワサック修道院長ドゥランドゥス 天国の鍵を持つ聖ペトロ(ペテロ)フランス語でサン=ピエール(St-Pierre)。
2.ベアトゥスの黙示録註解とその写本群
エミール・マールは、モワサックに代表される南仏のモニュメンタルな大彫刻が、
ピレネーの南のスペインで生まれた『ヨハネ黙示録』の『ベアトゥス本写本』の影響を受けて
作られたとしています。
『ベアトゥス本写本』とは、『ベアトゥスのヨハネ黙示録註解』とも言い、
8世紀後半(784年)、スペインのリエバナ修道院長ベアトゥス(Beatus de Liébana)によって
制作された『ヨハネ黙示録』の註解書で、そこにはすばらしい挿絵が施されていたのです。
この写本は、10世紀~13世紀の間に、たえず模写され、各地に広められていきました。
現在知られるベアトゥス本写本は33点あります。
とりわけ、南フランスのサン=スヴェール(Saint-Sever)修道院で模写されたものを
『サン=スヴェールのベアトゥス本』とか『サン=スヴェールのベアトゥス本写本』などと呼びます。
絵師はステファヌス・ガルシアです。現在はパリの国立図書館に保存されています。
この『サン=スヴェールのベアトゥス本写本』と、
モワサックのタンパンに現れたモニュメンタル彫刻の共通点は以下の通りです。
・『黙示録』の「キリストの再臨」あるいは「荘厳のキリスト」がテーマである。
・4つの生き物がキリストを取り巻いている。
・24人の長老たちがいて、冠をかぶり、杯とヴィオールを持ち、椅子(座)に座って
キリストを仰ぎ見て迎えている。
ここでもう一度、モワサックのタンパンの「栄光のキリスト」の画像をあげて、
『サン=スヴェールのベアトゥス本写本』と比べてみましょう。

↑ モワサックのタンパン

↑『サン=スヴェールのベアトゥス本写本』
ただし、モワサックのタンパンと『サン=スヴェールのベアトゥス本写本』との間には
いくつかの相違点もあります。
・ベアトゥスでは円形の中に描かれているが、モワサックでは半円形のタンパンである。
・モワサックでは長老たちを円形に配置できなかったので、半円形の中に段状に重ねて並べている。
・ベアトゥスのキリストは、長い笏(つえ)を持っているが、モワサックは持っていない。
さて、エミール・マールの説では、こうしてスペインで制作された『ヨハネの黙示録』註解書の絵が
ピレネー山脈を越えて、南フランス・ラングドックのモワサックに伝わり、
教会のポルタイユに大規模モニュメンタル彫刻が作られ、さらにそれがフランス各地に伝わっていった
ということになります。それを図にすると次のようになります。

ここで言う「フランス各地」の中には、フランス中部のブルゴーニュ地方も含まれます。
ブルゴーニュと言えば、909年(または910年)に創建され、
その後ヨーロッパ中に勢力を拡大したクリュニー修道院があります。
このクリュニー修道院の建築や芸術様式も、ヨーロッパ中に影響を与えたのですが、
クリュニーの修道院教会のポルタイユにあったタンパン彫刻も、モワサックと同じ
大規模なモニュメンタル彫刻である「栄光のキリスト」(黙示録のキリスト)だったのです。
エミール・マール説では、スペインの写本に影響を受けた
モワサックの「栄光のキリスト」(黙示録のキリスト)が、ブルゴーニュのクリュニー修道院に
伝わったということになります。教会入口のタンパンに「黙示録のキリスト」を表現するという着想は、
モワサックからクリュニーへ伝わったのだと言うのです。
さてしかし、これには別の説があって、「モワサック → クリュニー」ではなく、
その逆の「クリュニー → モワサック」だとする見方もあります。
つまりロマネスクにおける教会入口のモニュメンタル彫刻の起源は、
モワサックではなくブルゴーニュのクリュニー修道院なのだという説です。
またスペインの『サン=スヴェールのベアトゥス本写本』がモワサックに伝わったという見方にも
別の説があります。
つまりそれもまた逆で、モワサックのモニュメンタル彫刻こそが、
スペインの『サン=スヴェールのベアトゥス本写本』のお手本になったのだとする説です。
はたして、栄光のキリスト・キリストの再臨をテーマとする
ロマネスクにおける教会のモニュメンタル彫刻の、
一番最初の起源は、いったいどこだったのでしょうか?
スペインの写本か、モワサックか、あるいはブルゴーニュのクリュニー修道院か?
この問題は、実は解決されていません。
諸説が入り乱れていて、はっきりした正解は分からないのです。実にやっかいな問題なのです。
本日はここまでです。
次回は、今触れたクリュニー修道院についてです。
次回は11月17日(火)の午前中(9~10時頃)に、 第7回目の授業内容をこのサイトにアップします。 http://languedoc.nn-provence.com/ にアクセスして下さい。 |
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【今回(第6回)の授業の参考文献】
饗庭孝男『世界歴史の旅/フランス・ロマネスク』山川出版社、1999年。
饗庭孝男『ヨーロッパ古寺巡礼』新潮社、1995年。
馬杉宗夫『ロマネスクの美術』八坂書房、2001年。
櫻井義夫・堀内広治『フランスのロマネスク教会』鹿島出版会、2001年。
柴田三千雄・樺山 紘一・福井 憲彦ほか編著『世界歴史大系/フランス史1・先史~15世紀』
辻本敬子・ダーリング益代『図説ロマネスクの教会堂』河出書房新社、2003年。
長塚安司責任編集『世界美術大全集 西洋編8・ロマネスク』小学館、1996年。
柳宗玄『柳宗玄著作選4/ロマネスク美術』八坂書房、2009年。
アンリ・フォション『ロマネスク彫刻・形体の歴史を求めて』辻佐保子訳、中央公論社、1975年。
アンリ・フォション『西欧の芸術1・ロマネスク』上下巻、神沢栄三ほか訳、鹿島出版会、1976年。
エミール・マール『ヨーロッパのキリスト教美術』上下巻、柳宗玄・荒木成子訳、1995年。
エミール・マール『ロマネスクの図像学』上下巻、田中仁人ほか訳、国書刊行会、1996年。
DROSTE, Thorsten, La France romane, Les Éditions Arthaud, 1990.
Mâle, Emile, Religious Art from the Twelfth to the Eighteenth Century.
Princeton University Press, 1949/1982.
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