オンライン授業
ヨーロッパ・アメリカ文明特殊講義D/ヨーロッパ文明特殊講義D
第10回/動植物と異形の世界(前半)
中世ロマネスクの教会芸術には、さまざまな彫刻装飾が見られますが、
ことのほか、自然のモチーフ、すなわちバラエティに富んだ動植物が数多く姿を現します。
実際に実在するものから、空想上のものまでいろいろです。
今回はそれらのうちのいくつかを紹介していきます(メインは動物になります)。
まずは実在する鳥獣から。
1.ライオン
◆福音書記者マルコのシンボル
ライオンは、西欧のキリスト教ではまず何よりも新約聖書の『マルコによる福音書』の
著者である四大福音書記者の一人マルコのシンボルとされます。
その場合は、たいてい翼の生えたライオンという姿をしています。
マルコは、もとはエルサレムの住人で、イエスの刑死後、
官憲の弾圧を受けたイエスの弟子たちのうち、ペテロが獄中から脱走して逃げ込んだのが
マルコの母の家でした。
マルコの家は、初代教会の集会所となり、有名な「最後の晩餐(ばんさん)」の
場所でもあったとされます。
マルコはパウロによる最初の宣教旅行に同行しますが、途中でイェルサレムに帰ります。
ペトロのいるローマに行き、そこで福音書を書き、その後はアレキサンドリアに渡って
そこで教会を創立し、同地で74年頃に殉教したとされています。
したがって、エジプトのアレクサンドリア教会の創建者でもあります。
ギリシャ正教会では、初代アレクサンドリア総主教です。
「福音書」とは、『新約聖書』の中に含まれる書物で、イエス・キリストの
言動・生涯と彼の教えを書き伝えたものです。
「福音」は英語で「Evangel」です。
「四大福音書」とはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの書いたとされる4つの福音書です。
そしてマタイは人(または天使)、マルコはライオン、ルカは雄牛、ヨハネはワシで表されます。
こうした福音書を書いた著者のことを「福音書記者」といいます。
英語では「Evangelist」、フランス語では「Évangélistes」、そしてドイツ語では「Evangelist」です。
有名な日本のアニメの「新世紀エヴァンゲリオン」の「エヴァンゲリオン」とは、
この「福音」を意味するのでしょうが、主人公たちが乗る巨大人型兵器「エヴァ」は
最初の人間である「アダムとイヴ」の「イヴ(エヴァ)」にかけてあるでしょう。
ちなみにこのアニメで悪役として登場する「使徒(シト)」とは、
狭い意味ではイエス・キリストの12人の高弟を指します。いわゆる「十二使徒」です。
より広い意味では初期キリスト教時代に重要な役割を果たした
キリスト教の宣教者たちのことを指します。
英語では「apostle」、フランス語では「apôtre」です。
いずれにせよ、あのアニメには、キリスト教のモチーフが山のように盛り込まれています。
時々思うのですが、その逆のパターンで同じようなアニメをヨーロッパ人が
例えば「新世紀ブッダーン」みたいにして、仏陀とか釈迦とか菩薩とかが山のように出てくるアニメを
作って盛り上がっているとしたら、われわれ日本人から見てそれはどんな風に思えるのでしょうね。
いや、別にアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」をおとしめるつもりは全然ありません。
話がそれてしまいました。
マルコを表すライオンは、中世キリスト教の教会の入口のタンパン彫刻や、
内陣の半ドームに描かれた「栄光のキリスト」などに頻出します。
たいてい大きなキリストを、マタイ、ルカ、ヨハネなどを表す他の生き物とともに囲む形で登場します。
それについては、すでにこの授業でも以前の回で紹介しました。

アルル/サン・トロフィーム教会(Église Saint-Trophime, Arles/12世紀~)
上の写真は、南仏アルルのサン=トロフィーム教会、
西ファサード(正面)扉口の上のタンパン彫刻です。
テーマは「最後の審判」で、中央のキリストの回りに四大福音書記者たちがいます。
マルコを表す翼の生えたライオンは左下の赤い矢印のところにいて、
自分が書いた「福音書」を持っています。
下の写真もマルコを表すライオンです。
フランス東部のコルマールにあります。
ライオンには翼があり、『マルコの福音書』を大事そうに持っています。

コルマール、ウンターデンリンデン博物館(Musée d'Unterlinden de Colmar, 2010.8.12)
ではなぜ「マルコ」がランオンなのかというと、『マルコの福音書』の冒頭に
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。」とあって、これがライオンを連想させると言われます。
『マルコの福音書』ではそれに引き続く場面で、イエスが「洗礼者ヨハネ」から
洗礼を受ける場面が描かれています。この「洗礼者ヨハネ」は砂漠や荒野で生活していたのですが、
この砂漠や荒野がライオンに結びついたとも言われたりします。
しかし正確なところは、よく分かりません。
マルコを守護聖人とするのは、イタリアのヴェネツィアです。
828年に、ヴェネツィアがアレクサンドリアの墓からマルコの聖遺物を
持ち帰ったことによると言われます。
したがって、ヴェネツィアにはライオンの像や図像がたくさんあります。
ヴェネツィアの有名な広場は「サン・マルコ広場」ですね。

ヴェネツィア、サン・マルコ広場にあるライオンの像
◆教会の入口を守るライオン
フランス南部の、イタリアに近い地方には、柱の下で教会の入口を守るランオンが現れます。
まるで日本の神社の「狛犬(こまいぬ)」みたいです(ただし狛犬は柱の下ではありませんが)。
百獣の王ライオンが守る教会ということですが、あるいは百獣の王ライオンでさえ
その柱の下に組み伏せる教会の力を見せつける、という意味もあるのかも知れません。

ラ・サル=レ=ザルプ教会のライオン サン=ヴェラン教会のライオン(St-Véran, 2011.8.27)
(La Salle-les-Alpes, 2010.8.18)
柱の下ではなく、教会の入口のタンパンなどに彫刻されたライオンもいます。
下の写真はアルザスにあるミュルバッハ(ミュルバック)修道院教会の扉口彫刻です。

Abbaye de Murbach(2010.8.13)
扉口の上のタンパンではないですが、扉口(出入口)の両脇を固めるようにして立つ
柱の柱頭彫刻にもライオンがいたりします。
下の写真は、南仏の東ピレネー県ヴィルフランシュ=ドゥ=コンフランのサン=ジャック教会です。
扉口の左右両側に配置されています。
向かって右側のライオンなどは、体を大きくくねらせて(曲げて)います。
こうしたポーズのライオンは、東ピレネー県では比較的多く目にします。

Église Saint-Jacques de Villefranche-de-Conflent, Pyrénées-Orientales(2015.8.24)
◆ライオンの穴の中のダニエル
ダニエルは、旧約聖書『ダニエル書』に登場するユダヤ人男性です。
紀元前6世紀のバビロンのネブカドネツァル王のもとでバビロン州の長官でした。
ペルシアがバビロンを征服したのち、メディア人のダレイオス王もダニエルを重用しました。
ダニエルは信仰心から神を拝んでいたのですが、ダニエルをねたむ他の大臣から
ペルシア王以外のものを拝んでいるとの告発を受けて、
ライオンの洞窟に投げ込まれることになりました。
しかし、ダニエルは神の力によってライオンに襲われることなく、
逆に王はダニエルを陥れようとした者たちを罰して
ライオンの餌にしました(『ダニエル書』第6章)。
ライオンにはさまれて立つダニエルという構図は、教会の彫刻装飾などでしばしば見かけます。
左上のものはパリのルーヴル美術館にあるものでとても有名です。
右下のものなどは、ローヌ地方アルデッシュ県の小さな教会にあるものですが、
とてもユーモラスでかわいいですね。

Musée du Louvre, Paris(2010.8.23) Église St-Georges d'Ydes(2018.10.1)

Abbaye de Murbach(2010.8.13) Église Notre-Dame-de-l'Annonciation de Vinezac(2013.3.15)
◆サムソンとライオン
サムソンは、旧約聖書の『士師記』13章〜16章に登場する人物です。
古代イスラエルの士師(英雄)の1人で、怪力の持ち主として知られています。
もとは神に捧げられた子として生まれ、大人になった後、ペリシテ人の女性を妻にしたいと望み、
彼女の住むティムナに向かったのですが、その途中で主の霊がサムソンに降り、
目の前に現れたライオンを子山羊を裂くように裂いたのでした(『士師記』第14章)。
教会建築では、サムソンがライオンの口を持って二つに裂くという図柄で登場します。
そのうちから下に4つの柱頭彫刻を挙げておきます(ただし右上は
モンテリマールの城にある柱頭彫刻です)。

Basilique Ste-Madeleine, Vézelay(2004.8.12) Montélimar, Château des Adhémar(2011.8.21)

Musée de Cluny, Paris(2015.8.31) Église St-Georges d'Ydes(2018.10.1)
ライオンは、力の象徴です。したがって、教会建築だけではなくて、
君主(国王や皇帝)の紋章としてもしばしば使用されます。
最近ではサッカー・イングランド代表チームのエンブレムもライオンですし、
フランスの自動車メーカー「プジョー」のエンブレムもライオンです。
そう言えば、日本のビア・レストラン「銀座ライオン」のエンブレムも
大きな星とライオンですね(笑)。

イギリス王室の紋章 自動車メーカー・プジョーの紋章
2.鳩(ハト)とフクロウ
ハトで有名なのは、旧約聖書の『創世記』で語られる「ノアの箱舟」のエピソードです。
堕落した人間を見て神はこれを大洪水で滅ぼそうとしますが、
「正しき人」であったノアに箱船を作らせ、
彼の家族とすべての動物のつがいをこの方舟に乗せて助けます。
40日40夜続いた洪水は地上に生きていたものを滅ぼしつくしました。
40日後、ノアは箱船の窓からハトを放ちます。
最初ハトはとまるところがなくそのまま帰ってきましたが、
7日後にもう一度ハトを放つと、そのハトははオリーブの葉をくわえて船に戻ってきました。
さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかったことから、
大洪水の水が引いたことが分かったというわけです。
ここではハトは「救済のメッセージ」を運んでくるものとして登場しています。
しかしそれ以上にキリスト教にとって重要なのは、
新約聖書でイエス・キリストが洗礼を受けた際に、
聖霊がハトの形をして下ってきたという物語です。
新約の『ルカの福音書』第3章21~22には次のように書かれています。
| さて、民衆がみなバプテスマを受けたとき、イエスもバプテスマを受けて祈っておられると、天が開けて、聖霊がハトのような姿をとってイエスの上に下り、そして天から声がした、 「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。 |

「キリストの洗礼と十二使徒の称揚」(部分)ラヴェンナ、アリウス派洗礼堂(5世紀末)
キリストの洗礼と同様のモチーフとしてしばしば引き合いに出されるのが、
「クローヴィスの洗礼」です。
476年に西ローマ帝国が滅亡後、481年にクローヴィス(Clovis、1世、466頃-511)が
全フランク人を統一してフランク王国初代国王となりました。
496年、クローヴィスは王妃クロティルドの薦めで、フランス東部のランスにおいて、
3000名の家臣たちとともにカトリックに改宗しました。
彼に洗礼を施したのはランス司教レミギウス(聖レミ、サン=レミ)でした。
伝説によれば、この洗礼の際にハトが天から聖油の入った小瓶を運んできて、
聖レミがその聖油でクローヴィスに塗油儀式を行ったと言われます。
クローヴィスは、508年までに西ゴート族などをガリアから駆逐し、
メロヴィング朝フランク王国を確立しました。
このクローヴィスの洗礼以後、歴代のフランス国王の戴冠式はランスで
行われるようになりました。
下の写真は、左が14世紀の写本、右が9世紀の象牙彫りで、
ともにクローヴィスの洗礼を表しています。
クローヴィスの頭上からハトが聖油瓶をくわえて天から下りてきています。

ハトは、こうして天から、地上に神のメッセージを届ける使者としてのイメージが定着します。
今でもハトは「平和のシンボル」として、例えばスポーツの祭典などで使われたりしています。
3.フクロウ
フクロウは、さまざまな鳥の中でも不思議な雰囲気を持つ存在です。
ハトのような明るいイメージは決してありません。
森の奥深くにいる孤独な夜の鳥、といったイメージです。
なので「光よりも闇を好むユダヤ人の象徴」(エミール・マール)などど言われたりします。
あるいは闇の支配者サタンのシンボルとか。
一方、フクロウは古代から「予言の力」や「知恵」「英知」のシンボルともされていました。
キリスト教の教会の中や外にフクロウがひっそりといるのは、いったい何のためでしょうか。
はっきりとした解釈はまだないようです。

ソーリュー、サン=タンドッシュ教会内部 オーネー、サン=ピエール教会、南翼廊入口のアーチ(2009.8.24)

サン=レヴェリアン教会(2018.9.24) マール=シュル=アリエ、サン=ジュリアン教会のモディヨン(2018.9.25)
4.人魚(セイレーン)
普通「人魚」は、上半身が女(まれに男)で下半身が魚というイメージですが、
もともとは上半身が女で下半身は鳥、というパターンも見られました。
それらを「セイレーン」と言います。ここでは下半身が魚のいわゆる「人魚」を取り上げます。
「人魚」と言えば、アンデルセンの有名な童話やディズニーの『人魚姫』が有名ですが、
もともとは人間に対して悪さをする存在として考えられていました。
例えば、怪しくも美しい歌声で航海をする人間を海の中に引きずり込んだり。
なので「人魚」はしばしば「誘惑」のシンボルとされました。とりわけ肉体的な誘惑です。
真の目的から人間の目をそらさせ、精神の死をもたらすものです。
また、不吉な象徴とされることも多く、人魚自体も不幸な人生を歩みます。
童話『人魚姫』もそうですね。
ただ、自然の驚異的な力や、母性を表す場合もあると言われたりもします。
「人魚」は、教会の柱頭彫刻などにしばしば現れます。
その場合、下半身が2つに分かれているものが多いようです。
下の4枚の写真のうち、左上のものは二股ではないパターンです。
右下のものは、ちょっとおっかない顔つきですね。
これらの人魚が教会内外の彫刻に登場する意味については、よく分かっていません。

ショヴィニー、サン=ピエール教会(2009.8.26) オゾン、コレジアル教会(2009.8.14)

ベスエジョル、サン=ピエール教会(2018.6.17) サン=パリーズ=ル=シャテル、サン=パトリス教会(2018.9.25)
下の写真の左側は、みなさんがよく知っている「スターバックス・コーヒー」のロゴです。
でも、「スタバ」が一番最初にシアトル第1号店で使い始めた時は、右側のような図柄でした。
魚の下半身が二股に分かれていて、ウロコも生えています。
また女性の胸も露わにそのまま描かれています。
なんか生々しい人魚です。
あまりにリアルで生々しいので、今のようなデザインに変えられていったということらしいです。
でも古いデザインの方が、中世ロマネスク教会に現れる人魚のイメージに忠実かも知れません。

今の「スタバ」のロゴ・マーク シアトル1号店の最初のロゴ・マーク
※以下「後半」に続きます。