オンライン授業/西ヨーロッパ地域研究A「ラングドック・ルシヨンの歴史と文化」
第2回/5月19日(火)/ケルト時代のラングドックとローマの進出(後半)
③南仏ラングドックのケルト文化/アンセリュンヌ
次に、ナージュよりもさらに少し後の時代のケルト人のオッピドゥム(要塞都市)である
アンセリュンヌ(Ensérune)を紹介しましょう。
場所は、ナージュのさらに南西、現在のベジエの街のおよそ8キロほど西にいったところです。

先に見たナージュの要塞都市と同じように、小丘の上にその遺跡が残っています。

東西に長い丘の上に、紀元前3世紀末~紀元前1世紀の
ケルト人のオッピドゥムの遺構が残っています。
城壁、住居、地中に埋められた食料備蓄用の数多くのカメ、貯水槽などがあります。

(アンセリュンヌのオッビドゥム、Oppidum d'Ensérune)

(SCHWALLER, Martine, Guide Archéologiques de la France, Ensérune.)
この丘には、最も初期には紀元前6世紀(紀元前500年代)の末の
初期鉄器時代から人が住んでた痕跡があります。
紀元前4世紀(紀元前300年代)からケルト系住民が定着します。
しかし地理的な関係から、ギリシア・イベリア系の人々もいたようです。
したがって丘を占める住居の構造には、方形(四角い)という形のギリシア系の特徴も見られます。

方形の各住居の床・地下には、1個あるいは複数の大きなカメが備え付けられていました。
これは恐らく食糧の保管のためのものでした。
右の写真のカメは高さが1メートル以上あって、上部に渦巻き文様が描かれています。

また、こうした大きなカメが、住居の外にたくさん集められて
地下に埋められている場所もありました。
これは単に穀物類などの食料品だけではなくて、飲料水やワインを
ためておくためのものであったとも考えられます。
丘や小山の上で生活する場合、最も重要な問題は飲料水です。
近くの井戸や、あるいは雨水なども、生活のために貯蔵されていたと思われます。

このアンセリュンヌの遺跡で注目すべきは、
この場所が、古くからピレネー山脈の南のイベリア半島(のちのスペイン)との
経済的・文化的交流が盛んであったという点です。
アンセリュンヌ考古学博物館には、イベリア半島からもたらされて、
ここで発見されたさまざまな文物が展示されています。
その多くは、イベリア半島経由でもたらされたと思われる古代ギリシア系の
陶器類、アンフォラ、器などです。
それらはこの考古学博物館に展示されています。

ギリシア神話のテーマが描かれた陶器。紀元前5世紀頃。

イベリア半島系の陶器類。紀元前5世紀~4世紀頃。
しかし、こうした古代ギリシア系の陶器類だけではなくて、
ヨーロッパの古い源流の文化を感じさせる不思議なデザインのものも発見されています。
例えば次のものは、人間の顔を文様にあしらった器です。
不思議を通り越して、何か神秘的なものを感じさせますね。
これはギリシア・ローマ的なものではない、古い土着のケルトの世界観を
力強く感じさせるものであると言えるでしょう。

Vase celtique anthropomorphe. Musée d'Ensérune.
紀元前118年には、この地方をローマが支配下に置くようになります。
ローマの支配下に入っても、しばらくの間はアンセリュンヌの要塞集落には人が生活していたようで、
新たに貯水槽(citerne)、配水施設、下水などが作られました。
しかし紀元1世紀の間、いわゆる「ローマの平和」によって、
丘の上に防御を施した要塞に住む必要がなくなったため、住民はこの場所を放棄したようです。
④ガリアへのローマの進出
紀元前3世紀(紀元前200年代)後半、
ローマは北アフリカにあったカルタゴとの間の、地中海の覇権を巡る争い(ポエニ戦争)に勝利し、
カルタゴから奪ったイベリア半島(後のスペイン)を支配下に収めることとなりました。
紀元前2世紀前半の時点で、ローマ(共和政ローマ)の支配領域(赤い部分)は次の地図の通りです。

これを見れば分かるとおり、イタリアとイベリア半島(ヒスパニア)の間には
手つかずのガリア(後のフランス)があります。
紀元前2世紀前半の時点では、ここはまだローマの勢力範囲には入っていません。
非常に勇猛で乱暴なケルト系ガリア人がそこには住んでおり、
ローマ人がイタリアとイベリア半島の間を陸路で行き来するのはなかなか難しい状態でした。
ヒスパニアの総督に任命されたローマの高官が、ガリアを通って陸路でヒスパニアに向かおうとして、
途中で襲撃されて命を落とすといった事件さえ起こっています(紀元前189年)。
上の地図の、イタリアとヒスパニアの間のガリアの南の部分を拡大したものが次の地図です。

この地図にあるマルセイユは、紀元前7世紀(紀元前600年代)頃に作られたギリシア人の植民都市でした。
その当時の名前は「マルセイユ」ではなく「マッサリア/マッシリア」と言いました。
地中海を船で行き来する交易で栄えていました。
ギリシア人ですから、ローマ人から見れば、同じヘレニズム系の文明を営むところの、
まぁ言わば「親戚」みたいなものですね。
一方、この地図の「アントルモン」というのは、土着のケルト系ガリア人の一派である
「サルウィイー族」が拠点としていた「オッピドゥム」(要塞都市)でした。
「マッサリア(マルセイユ)」からは約30キロしか離れていません。

サルウィイー族のオッピドゥム・アントルモン。 先に見たナージュと同じく、頑強な防御壁に守られています。
このケルト系ガリア人のサルウィイー族が、マッサリアを北から次第に圧迫するようになり、
紀元前125年に、とうとう本格的な攻撃を加えるようになったのです。
交易で栄えるマッサリアの富が欲しくなったのかも知れませんね。
攻められて困ったマッサリアは、カルタゴを破って強力な軍事力を発揮しつつあった
「親戚」であるローマに助けを求めました。
ローマは内心喜んだ(いや、ほくそ笑んだ?)かも知れません。
イスパニアへの陸路の途中の空白地帯に手を出すための
大義名分が転がり込んできたわけですね。

進軍するローマ軍
紀元前125年から124年にかけて、
ローマはマッサリアの支援要請に応える形で軍隊を派遣し、
そしてサルウィイー族のアントルモンを攻略・破壊しました。
さらにローマはその周辺地域も制圧し、
とうとう紀元前121年頃には空白地帯であった南ガリアを
ものの見事に手中に収めてしまいます。
ローマはこの地域に「属州ガリア・ナルボネンシス」を創設し、
その首都としてナルボ/ナルボンヌ(Narbonne)を建設しました。
南ガリア(南フランス)は、こうしてついにローマの支配下に入ったのでした。

次回はこのローマ支配下で繁栄した
南ガリアのラングドック地域(属州ガリア・ナルボネンシス)について取り上げます。
| ★今回は小コメントなどの提出はありません。 |
※最初の小コメントの提出は、第4回目の授業が終わったところで予定しています。
| ★次回は、5月26日(火)の3限の少し前、11~12時頃に、 第3回目の授業内容をこのサイトにアップするようにします。 http://languedoc.nn-provence.com/ にアクセスして下さい。 |
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【今回(第2回)の授業の参考文献】
川島清吉『古代ギリシア植民都市巡礼』吉川弘文館、1989年。
木村正俊『ケルト人の歴史と文化』原書房、2012年。
柴田三千雄・樺山 紘一・福井 憲彦ほか編著『世界歴史大系/フランス史1・先史~15世紀』
山川出版社、1995年
武部好伸『中央ヨーロッパ「ケルト」紀行~古代遺跡を歩く』彩流社、2002年。
ベック&シュー『ケルト文明とローマ帝国-ガリア戦記の舞台(知の再発見双書114)』
鶴岡真弓監修、遠藤ゆかり訳、創元社、2004年。
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Rennes, Éditions Ouest-France, 2013.
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TREVOR HODGE, A., Ancient Greek France, University of Pennsylvania, 1999.
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L'Archéologue, no.091, août-septembre 2007, Languedoc, celte et romain. Paris, Epona.
Les Dossiers d'Archéologie(Histoire et archéologie), no.099, octobre 1985,
Recentes decouvertes en Languedoc Roussillon.
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