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ヨーロッパ・アメリカ文明特殊講義D/ヨーロッパ文明特殊講義D

第12回/ゴシックの誕生・大聖堂の世界(前半)      
前回は、シトー修道会とその建築について説明しました。
シトー修道会は、クリュニー修道会(910年創建)の繁栄に対して、
それを批判する形で1098年に設立されました。
最初、修道院改革を唱えて作られたクリュニー修道会が、組織として大きくなるにつれて
儀式や典礼が豪華になっていったことに対する批判でした。

シトー修道会は、クリュニー修道会を批判してキリスト教修道生活の原点である
「清く、正しく、慎ましく」という清貧の原点を、
少なくとも当初は、しっかりと目指そうとしました。
したがって、シトー修道会の建築は、華美な装飾などを極力少なくし、
非常に質素でシンプルなものでした。

神の真理や信仰の道筋は、美しくて豪華なものを通してではなく、質素でシンプルなものを通して
われわれに示されるわけです。静かで深い信仰の世界が目指されたのです。

しかし、12世紀(1100年代)中頃から、新しい考え方の時代が始まります。
再び、豪華で美しくてきらめくような光を通して
神の真理と信仰の道が人間に降り注ぐ時代となります。

「ゴシックの時代」の始まりです。
建築様式も、12世紀半ばから、「ロマネスク」から「ゴシック」へと移り変わっていきます。

ロマネスク様式の教会や修道院は、山奥にある小さくて暗い建築が多かったのですが、
ゴシック様式の建築は、大きな都市のど真ん中に、巨大で豪華な「大聖堂」を出現させます。
大きな都市では、ロマネスクの古い聖堂が取り壊されて、
いわゆる「ゴシック大聖堂」が次々と建設されていきます。

おおよそ、建築様式の変遷を図式化すると、次のようになります。

それでは、この「ゴシック様式」の特徴を見ていきましょう。


1.ゴシック大聖堂の特徴/大規模であること                
ゴシック様式とは、西暦1100年代中頃から
北フランスのパリを中心に現れたキリスト教の美術・建築様式です。

歴史的には、1144年に完成したパリ近郊の

「サン=ドニ大修道院付属教会」から始まった
と言われます。
この「サン=ドニ」の聖堂については、後であらためて触れるとして、
まずゴシックの特徴から説明します。
12世紀中頃から、北フランスのパリを中心とした
「イル・ド・フランス」地方で始まり、発達しました。
パリはフランスの首都です。そしてもちろん国王が住む都です。




ゴシック大聖堂とは、政治的には、中央集権を進めて強力になった
フランス王権の力を見せつけるための建築的なシンボルでした。
王権と教会は一心同体で結びついています。
大きくて豪華な教会を建てることは、キリスト教の威信を讃え、
さらにそれを庇護する
国王の力の大きさを見せつけることになりました。

また、これにはこの時代の食糧事情の好転と人口増加、
都市への人口流入
背景にあるとも言われます。
つまり、都市においてどんどんと人口が増え、そうしたたくさんの人々のために、
ミサなどの儀式をする必要があります。ロマネスクの小さな教会ではそれは不可能です。
大量の人々のためにミサを執り行うには、大きな聖堂が必要になったのです。
したがって、ゴシック大聖堂の特徴はまず何よりも、「大きい」ということになります。

下の写真は、第3回の授業の時にも出した画像です。
北フランスのボーヴェという街にある
「ボーヴェ大聖堂」で、
ロマネスク時代12世紀の大聖堂(左側)と、ゴシック時代13世紀の大聖堂(右側)が二つ並んでいます。
左側の小さいロマネスクの大聖堂を取り壊して、新たに大きなゴシックの大聖堂を建てている最中に
工事が止まってしまい、結果的にロマネスクとゴシックの両方を同時に見ることができるわけです。
ロマネスクとゴシックの高さと大きさの違いが一目瞭然です。
このボーヴェのゴシックの大聖堂は、ゴシック様式の内部の身廊部の高さが世界で最も高く、
48.5メートルもあります。
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ボーヴェ大聖堂(2003.2.28)


ゴシックの大聖堂は、特にその
高さが著しく目につきます。
聖堂本体部分(身廊や内陣部)もさることながら、普通聖堂の西側に立つ鐘塔が非常に高いのです。
見るものに、天空に向かった立ち登る強い意志の力を感じさせます。
これは視覚的に演出効果満点の感動を与えるものです。
とにかくゴシックは
「高く大きく美しく」がモットーです。
  
イタリア・ミラノ大聖堂(ドゥオモ)             ドイツ・ケルン大聖堂
上へ上へと向かう垂直線が目に入る。              塔の高さはゴシックで最も高い157メートル。



2.ゴシック大聖堂の特徴/フライング・バットレス(アルク・ブータン)   

教会建築を「高く大きく」していくためには、いかに建物の壁の崩落を防ぐかが
最重要のポイントとなります。

ロマネスク建築では、建物の壁自体をなるべく分厚く重くして、
さらにそれに「扶壁」と呼ばれる補強柱を外壁に直接付けることで、
外壁が外側に開いて崩壊するのを防ぎました。
  
ロマネスクでは壁に直接補強の「扶壁」を付ける。      アルデッシュ県、
                             サン=タンドレ=ドゥ=ミトロワ教会(ロマネスク、2005.3.2)
                             聖堂外壁に「扶壁」が並んでいる。



しかしゴシックでは、
「フライング・バットレス」(flying buttress)が発明されました。
フランス語では「アルク・ブータン」(arc-boutant)、日本語では「飛び梁」と言います。

これは、聖堂の外壁に補強柱を直接付けるのではなくて、
外壁の外にそこから少し離れる形で「控え壁」(控え柱)を作り、
そこから斜めにアーチを架けて支えるものでした。人間が腕を伸ばして壁を支えるような感じです。
外に広がろうとする外壁の圧力は、すべて「フライング・バットレス」が抑えてくれます。
そしてこの「フライング・バットレス(アルク・ブータン)」のおかげで、
外壁自体を分厚くする必要がなくなったわけです。
大きなゴシック大聖堂では、この「フライング・バットレス」を、
外側に何重にも重ねるということさえ行われました。

 

壁を分厚くする必要がなくなったばかりでなく、どんどん薄くすることが可能となり、
しかもそこに
窓をたくさん開けることができるようになりました。

しかも、壁が薄くなると、当然石の重量も軽くなります。なので建物の高さ自体も、
どこまでも高くすることが可能となりました。

まさしく「フライング・バットレス」は、
ゴシックの偉大な発明であると言えます。
(ただし、この「フライング・バットレス」は、ビザンティン建築にすでに見られるとの指摘もあります)


※ゴシック様式の「大聖堂」というのは、日本語だといかにも「大きな」聖堂、
というような印象を受けます。
確かにゴシック様式なので大きいことには違いないのですが、
ゴシック大聖堂は、単に大きさが大きいから「大聖堂」というわけではありません。
大きさだけなら、前に取り扱ったロマネスクの「クリュニー修道院」の第3聖堂なんて、
ゴシックの「大聖堂」が顔負けするくらい「大きい」です。
ゴシックの「大聖堂」とは、正確には
「司教座聖堂」のことです。
フランス語で
「カテドラル」(Cathédrale)といいます。
キリスト教の教会組織において各地方や大都市を統括・管理する聖職者、すなわち
ローマ・カトリック教会における上級管理職である
「司教」(éveque/bishop)
がいる聖堂のことを「司教座聖堂」と言い、
日本語訳する時にはこれを「大聖堂」と言うようになったのです。
なので、例えば「パリのノートル=ダム大聖堂」は、
正確には「パリのノートル=ダム司教座聖堂」となります。
「シャルトル大聖堂」は「シャルトル司教座聖堂」ですね。

   
ナルボンヌ大聖堂のフライング・バットレス   サン=ドニ大聖堂、同。


パリのノートル=ダム大聖堂のフライング・バットレス

  
ル・マン大聖堂。後陣に立ち並ぶフライング・バットレス。            同(拡大)


  
ナルボンヌ大聖堂(オード県)                 パリのノートルダム大聖堂


ボーヴェ大聖堂・後陣(2003.2.28)フライング・バットレスに囲まれて、まるでSFの要塞みたいです。


3.ゴシック大聖堂の特徴/交差リブ・ヴォールト             

「フライング・バットレス」とともに、ゴシック様式において新たに現れたのが、
「リブ・ヴォールト」(rib vault)と呼ばれる天井です。
このリブが、天井(ヴォールト)を補強して、それが崩れるのを防ぐわけです。

ヴォールトとは、真っ平らな天井ではなく、湾曲した天井のことですが、
「リブ」は、そこに付けられた、いわばあばら骨・肋骨のような支持帯のことです。
たいていは交差する形でヴォールトに付けられます。
それを
「交差リブ・ヴォールト」と言います。

「リブ」は英語で、よく「リブ・ステーキ」とか言いますね。
あばら骨の部分の肉のステーキのことです。
「リブ」はフランス語では「オジーヴ」(ogive)と言います。
「リブ・ヴォールト」はフランス語では「ヴゥト・ドジーヴ」(voûte d'ogive)と言います。

下の写真(↓)は、左側がロマネスクの教会の天井で、いわゆる「半円筒形トンネル・ボールト」です。
右側の写真は「交差リブ・ヴォールト」となったゴシック様式の天井です。
  
南仏ブリサックのサン=ナゼール教会           南仏シルヴァカーヌ修道院回廊


下の写真(↓)は、北フランスのアミアン大聖堂(Cathédrale d'Amiens)の身廊部分の天井です。
1つの区画(ベイ)は、交差する2本の「リブ」によって4つに分割されています。
このようなヴォールトを「4分交差リブ・ヴォールト」と言います。
  
アミアン大聖堂の身廊のヴォールト(2001.08.13)。  4分交差リブ・ヴォールト。

さらに1つの区画(ベイ)が3本のリブによって6つに分割されると
「6分交差リブ・ヴォールト」
となります。下の左側は北フランスのランの大聖堂(Cathédrale de Laon)の例です。
右側は南仏アルビのサント=セシル大聖堂(Cathédrale Sainte-Cécile d'Albi)のものです。
ここまで複雑になると、もう建築構造上の意味はありませんね。

ただの豪華な「装飾」
と化しています。
  
ランの大聖堂の「6分交差リブ・ヴォールト」   アルビのサント=セシル大聖堂

リブ・ヴォールトの発明については、バウムガルトが次のように書いています。

リブ・ヴォールトの発明は正方形システムからの脱却を可能とし、一様に尖頭アーチを用いさせるに至った。同時に壁体は大きく解体され、支柱と骨組み部材による構造システムに取って代られた。壁のあった場所は大きな窓面に変わった。押し出された壁体の量塊は外部の控柱や控アーチに姿を変えた。このような構造システムが形成された結果、各部分空間の空間的統一が実現した。ロマネスクの時代に対比してみると、ここでは建築は無重量感、超物質感といった性格を得た。これはローマ建築に対する初期キリスト教建築およびビザンチン建築の関係に似ているが、ただここでは、高さが著しく大きくなったために、古代における比例感覚の最後の残滓までも消え失せた。
               (F.バウムガルト『西洋建築様式史(上)』杉本俊多訳、鹿島出版会、1983年、162頁)



4.ゴシック大聖堂の特徴/尖頭アーチ                 
ゴシックでは、窓などのアーチはロマネスクの半円形の「円頭アーチ」から
「尖頭アーチ」に変わりました。
丸いアーチから、先がとんがったアーチになったわけです。
尖頭アーチにすると、窓の横幅をより大きくすることができます。
また、見た目で上昇性・昇高性を表現することができます。
壁の厚みを物理的・視覚的に減じようとしていて、
高くて大規模なのに重量感を感じさせなくなります。

下の写真は、ロマネスクの修道院の回廊の半円形アーチと、ゴシックの回廊の尖頭アーチです。
またさらにその下は、北フランスのラン大聖堂の側壁につらなる尖頭形の窓の列です。
 
南仏セナンク修道院(2001.03.13)            南西フランス・カオールのサン=テティエンヌ大聖堂(2009.08.20)


ランの大聖堂(Cathédrale de Laon、2004.03.24)


5.ゴシック大聖堂の特徴/大きな窓とステンドグラス           
ゴシックでは、壁が薄くなり、そこに大きな窓を開けて、
聖堂内部に光を可能な限り取り込もうとします。
したがって、聖堂の中は、暗かったロマネスク教会とは違って、
非常に明るくなります。
「光」は、聖書で語られる神と密接な関係にあります。
そもそも『旧約聖書』の「創世記」で天地が創造される時、
それは神の「光よあれ」という言葉が最初にありました。
また「最後の審判」の後にやって来る「神の国」(天のエルサレム)は、光に満ちた世界でした。
ゴシックの大聖堂は、
光に満ちた神の空間なのです。

下の写真の左側は薄暗いロマネスク教会の内部、右側はゴシックの大聖堂の内部です。
明るさが全然ちがいます(高さも全然違います)。
 
南仏ル・トロネ修道院教会(2001.8.27)           アミアン大聖堂(2001.8.13)


ゴシック大聖堂では、こうして可能な限り大きく広げた窓(開口部)に、
色鮮やかな
ステンドグラスをはめます。
フルカラーの美しいステンドグラスから降り注ぐ光。
神の真理や信仰の感動は、色鮮やかに輝く美しい光を通して、われわれにもたらされるのです。

もちろんロマネスク時代にもステンドグラスはありました。
しかし、ゴシックのステンドグラスは、よりいっそう大規模で、美しく、細密になります。
形自体も複雑になります。
それが典型的に現れたのが大きくて丸い
「バラ窓」です。
 
北フランス、ラン大聖堂(2004.03.24)のバラ窓          同、バラ窓部分の拡大

下の写真は、パリのシテ島にある
「サント=シャペル」(Sainte-Chapelle)です。
壁一面に美しいステンドグラスが並んでいます。
このサント=シャペルは、フランス王家の王室礼拝堂で、
フランス中世美術の最高峰とも言われるものです。
パリに行くことがあったら、ぜひ見学してみて下さい。
 
パリのサント=シャペル                同、ステンドグラス(2001.3.25)

次の写真は、今回の授業で何度か出てきた、北フランスのボーヴェ大聖堂の内部の、
下から上(天井・ヴォールト)を見たものです。
ボーヴェ大聖堂の身廊部分は、ゴシック大聖堂の中で最も高く、48.5メートルあります。
しかしその高い天井を支えているのは、もはやロマネスクのような「壁」ではありません。
細長い「柱」だけです。
「壁」というものがまったくないのです。
天井の下には柱とステンドグラスのはめられた窓しかありません。
聖堂内部の上をぐるりと取り囲む窓から、明るい光が堂内を照らし出します。
おなじキリスト教の聖堂でも、ゴシック建築は、
ロマネスク建築とはずいぶん違う境地に至ったのでした。


Cathédrale St-Pierre de Beauvais(2003.2.28)


6.ゴシック大聖堂の特徴/聖堂内外の彫刻類              

ゴシックでは、ロマネスク以上に聖堂の内部や外部において、
彫刻装飾がたくさんあふれるようになります。
聖堂の正面ファサード、ジュベ(内陣の仕切り)、聖歌隊席の仕切り、
記念碑的な祭壇衝立などに、これでもかと言うほどに彫刻が施されます。
前回の授業で見たようにゴシック直前のシトー修道会は、
なるべく彫刻装飾の類いを少なくしましたが、
ゴシックではそれとは真逆の方向に向かったのです。

次の写真は、フランス東部にあるランス大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Reims)の
西正面ファサードです。
所狭しと、これでもかと言うくらい、彫刻装飾であふれています。

ランス大聖堂・西正面ファサード(2019.3.16)


多くの人々に、キリスト教の教えを示し(一種の視聴覚教材)、教会の権威を見せつけ、
そして住民たちに、このようなすばらしい大聖堂を持つ自分の街の誇りを植え付けたのでした。
13世紀~14世紀、大きな都市は競って大聖堂を建設します。
フランスだけではなく、ドイツやスペインやイギリスでも、「おらが街の大聖堂」を建てます。
「愛国心」ならぬ「愛都市心」といったところでしょうか。


7.ゴシック大聖堂の特徴/双塔構造                   
ゴシック大聖堂では、教会正面は左右に2つ塔が立つ
双塔構造となります。
この双塔には時には
高い尖塔が乗せられます。
  
ランス大聖堂(2019.03.16)               シャルトル大聖堂(2003.3.19)


※前半はここまでです。後半では、最初のゴシック大聖堂である、
サン=ドニ大聖堂(サン=ドニ修道院付属聖堂)を取り上げます。


→第12回/ゴシックの誕生・大聖堂の世界(後半)へ












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