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ヨーロッパ・アメリカ文明特殊講義D/ヨーロッパ文明特殊講義D

第13回/パリのノートル=ダム大聖堂(後半)      
前半では、ノートル=ダム大聖堂の簡単な歴史と、西正面(西ファサード)について見ました。
後半では、ノートル=ダム大聖堂の内部について説明していきます。

3.ノートル=ダム大聖堂の建築/平面プラン             
①ノートル=ダム大聖堂の平面プランは、東西に長い十字形をしています。
キリスト教における多くの聖堂と同じように、正面入口は西、後陣は東を向いています。

②内陣が非常に大きくなっています。
内陣は、普通は聖職者・修道士専用で、ノートル=ダムの場合は、およそ300人収容できました。
聖堂全体では6500人とも9000人とも言われます。

ミシュラン『パリ』


ノートル=ダム大聖堂内部(2019.3.17)


③内陣の大きさに比べて、トランセプト(十字架の両腕の部分)よりも西側の
「身廊」(Nef)が、相対的に小さくなっています。
フランス語で「身廊」を「Nef(ネフ)」と言いますが、それは「船」の意味です。
旧約聖書・創世記(La Genèse)第6章の「ノアの大洪水」(Le Déluge)に出てくる
「ノアの箱船」(L'Arche de Noé)を意味します。人々は身廊で箱船をイメージしたのです。
教会の外は悪や罪や災禍が満ちたカタストロフの世界で、教会の中はそこからの避難所なのです。
身廊の南北両側に並ぶ「側廊」は、片側2列、両側で4列あり、
身廊を合わせると全体で5列あります。
これを
「5廊式」と言います。
例えばミサなどをしている最中でも、他の信者や巡礼たちは、それを邪魔することなく
側廊を巡ることができるのです。
実際、今でもミサの最中に、観光客たちはゾロゾロと側廊を歩いて聖堂の中を見学しています。
2列に並ぶ「側廊」(2004.8.17)


④トランセプト(十字架の両腕の部分)は小さいです。
つまり身廊部から南北の外側に張り出す部分が小さくなっています。
建築家は限られた土地を最大限に利用して建設したわけです。
トランセプトを小さくすることで、その分、身廊の幅を最大限に広げることになりました。
ノートル=ダム大聖堂の面積は5000㎡です(ケルンの大聖堂は9000㎡)。

⑤後陣回廊(周歩廊/Déambulatoire)は2列になっています。
身廊部の2列の側廊が、そのまま内陣の周囲に回ることになります。
それだけスムーズに多くの人間が動けるようになります。
2列に並ぶ後陣回廊(周歩廊)


4.ノートル=ダム大聖堂の建築/立面(立体)プラン                
ノートル=ダム大聖堂の立面プラン、つまり縦の構造は、3層から成っています。
ただしトランセプトおよびその前後では、立体構成は4層です。




①大アーチ(Les grandes arcades/grands piliers)/大アーケード
一番下の層で、太い円柱の上に尖頭アーチが架かり、それが連続するアーケードとなっています。
その外側は南北ともに側廊で、天井の交差ヴォールトは身廊部よりも低くなっています。


②トリビューン(La tribune)/トリフォリウム(le Triforium)/階上席・階上廊
ロマネスク様式では、トリビューンはあっても飾りに過ぎませんでした。
ゴシックでは明かりをより多く取り入れ、かつ人の収容と流れを増やすために設けられました。
ただしパリのノートルダム大聖堂では、採光という点ではいまひとつで、
ゴシック大聖堂の中でも内部が暗いほうです。
観光客などは写真をパシパシ撮っていますが、暗いので写りはあまり良くないと思います。
フラッシュは聖堂内部では禁止ですが、かまわずフラッシュたいて撮っている観光客もいます。
でも堂内は広いので、フラッシュの光が届くとは言えず、残念ながらあまり意味はないですね。
このトリビューンの部分だけで、ノートルダム大聖堂では約1500人の人間を収容可能です。


③高窓(les fenétres)
ロマネスク様式には「高窓」はあまりなく、天井が直接トリビューンから始まります。
ノートルダム大聖堂では、この高窓部分には最初は色つきのガラスがはめられていましたが、
13世紀に白い色のガラスに変えられました。


④ヴォールト
主身廊部分の天井は、
6分交差リヴ・ヴォールトとなっています。
つまり横断アーチで区切られる1つのベイ(区画)は3本のリブによって
6つの部分に分割されています。

  
ノートル=ダム大聖堂・身廊部分の立面プラン(2002.3.13)


⑤バラ窓(les rosaces)
ノートルダム大聖堂には、西側のファサード、南北二つのトランセプトに
大きな円形のバラ窓があります(その他の小さなものもあります)。
大きなバラ窓は直径13メートルあります。
鮮やかなカラーのステンドグラスは、ノアの洪水の後で神が空に架けた
美しい虹と関連しています。
それは神と人間の結びつきを表しています。
また、前回の授業のサン=ドニ大聖堂のシュジェールのところで説明したように、
ゴシック様式の大聖堂では、神の真理と信仰の道は、
輝かしい「美」の光を通して人間にもたらされるのです。
 
北側トランセプトのバラ窓(2001.8.16)         同、拡大(2004.8.17)


バラ(rose)は、聖母マリアと特に関連が深い花とされます。
15世紀頃から、バラ窓は、
聖母マリアのシンボルとなりました。
聖母は
「トゲのないバラ」(清純・純白の意味)とも呼ばれます。
その他、旧約聖書『ヨハネ黙示録』に
「運命の車輪」が出てきます。
神と神の国は、光に満ちた世界です。
中心から周囲に光を発するその丸い形は、東西南北を表す一つのシンボルとされます。
またこのバラ窓や、その他のステンドグラスは、
聖書の物語・歴史を図像化して人々に訴えるための、一種の視聴覚教材でした。
まだ大半の民衆が読み書きできない時代には、彼らのための
「目で見る聖書」だったのです。


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2019年4月15日、パリのノートル=ダム大聖堂が燃えているというニュースが
世界を駆け巡りました。
身廊・トランセプトの屋根と尖頭が焼け落ちました。
恐らくは修復工事現場からの失火が原因だと言われています。
聖堂全体の大規模な崩壊は免れましたが、それでも被害は大きく、
再建までには何年もかかると思われます。

私はたまたま2019年3月にパリにいました。
これまでもう何度もノートル=ダム大聖堂には行っているので、もう行かなくてもいいかなと
思ったのですが、結局3月17日に訪問しました。「虫の知らせ」だったのでしょうか?
私はクリスチャンではありませんが、聖母マリアのお導きだったのでしょうか?
大聖堂の中ではちょうど「ミサ」を行っていました。
そのおよそ1ヶ月後に火災に見舞われたのでした。

ノートル=ダム大聖堂でのミサの様子(2019.3.17)


2019年4月15日の火災(ABS-CBNニュース)


ヨーロッパでは、大聖堂などの教会が焼け落ちるということは、
実はそんなにまれなことではありません。
14~15世紀の百年戦争、16世紀の宗教戦争などでも各地で教会が攻撃され、破壊されました。
第1次世界大戦や第2次世界大戦では、
北フランスやドイツなどで多くの教会・聖堂が被害を受けました。

それでも修復・復元工事によって数多くの教会がよみがえっています。
こともあろうに、パリのノートル=ダム大聖堂が焼けるというのは、
さすがに誰も予想はしていませんでしたが、
しかしそれでも何年か後には見事に復活することでしょう。

不幸なことに新型コロナウイルス感染症の世界的流行があり、
われわれ日本人が観光でフランスを訪れることができるようになるのは、
やはり同じように何年か先のことかも知れません。

しかしその何年か後にはコロナが収束し、
ノートル=ダム大聖堂もすっかり修復・復元されているはずです。
みなさん将来フランスに行くことがあったら、
ぜひパリのノートル=ダム大聖堂を訪れて下さい。
その際には、この授業で説明したことなどを思い出して見学してもらえれば幸いです。



「特殊講義D」はこれにて終了です。
コロナ禍で大変な世の中になっていますが、引き続き感染には充分注意して
どうか良い春休みを過ごして下さい。

★今回は、出席調査を兼ねて、最後の小コメントを提出していただきます★
第11回~第13回の授業の内容について、自分がその中で一番印象に残ったことや、重要だと思ったことは何か、そしてそこに、できれば自分の意見や感想なども付け加えて、300字以上~400字くらいまでで書いてメールで提出(送信)して下さい。
ワードなどのファイルを添付するのではなく、メール本文に直接書いて下さい。
メールのタイトルには、必ず授業名、学生証番号、氏名を書いて下さい。
例えば次のようにして下さい。
 (例)メールタイトル「特殊講義/5BPY1234/東海太郎」
★提出(送信)締切りは、
1月27日(水)の22時までとします。
メールアドレスは、nakagawa@tokai-u.jp です。



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【参考文献】
『週刊朝日百科/世界の100都市・パリ』創刊第2号、朝日新聞社、2001年12月。
『世界美術大全集 西洋編9/ゴシック1 』飯田喜四郎・黒江光彦編集、小学館、1995年。
『世界美術大全集 西洋編10/ゴシック2 』佐々木英也・冨永良子編集、小学館、1994年。
饗庭孝男編『パリ 歴史の風景』山川出版社、1997年。
饗庭孝男『ヨーロッパ古寺巡礼』新潮社、1995年。
馬杉宗夫『ゴシック美術-サン・ドニからの旅立ち』八坂書房、2003年。
馬杉宗夫『パリのノートルダム』八坂書房、2002年。
酒井健『ゴシックとは何か-大聖堂の精神史』ちくま学芸文庫、2006年。
佐藤達生・木俣元一『図説 大聖堂物語―ゴシックの建築と美術(ふくろうの本)』
                         河出書房新社、2000年。
森田慶一『西洋建築入門』東海大学出版会、1971年。
前川道郎『聖なる空間をめぐる フランス中世の聖堂』学芸出版社、1998年。
柳宗玄「ロマネスクとゴシックの世界」『岩波講座/世界歴史10/中世ヨーロッパ世界2』
                             岩波書店、1970年。
ミシュラン・グリーンガイド日本語版『パリ』実業之日本社、1991年。
イヴァン・コンボー『パリの歴史』小林茂訳、文庫クセジュ、白水社、2002年。
ジャン=ロベール・ピット『パリ歴史地図』木村尚三郎監訳、東京書籍、2000年。
アルフレッド・フィエロ『パリ歴史事典(普及版)』鹿島茂監訳、白水社、2011年。
ウィルヘルム ヴォリンガー『ゴシック美術形式論』中野勇訳、文藝春秋社、2016年。
O.フォン・ジムソン『ゴシックの大聖堂―ゴシック建築の起源と中世の秩序概念』
                        前川道郎訳、みすず書房、1985年。
アンリ・フォシヨン『西欧の芸術2・ゴシック(上)』神沢栄三ほか訳、鹿島出版会、1976年。
ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典-絵画・彫刻における主題と象徴』高階秀爾監修、
                         河出書房新社、1988年。
エミール・マール『ゴシックの図像学〈上・下〉』田中仁彦ほか訳、国書刊行会、1998年。
ジャック・ル ゴフ『中世西欧文明』桐村泰次訳、論創社、2007年。
SANDRON, Dany, & TALLON, Andrew, Notre-Dame de Paris. Neuf siècles d'histoire,
                                Parigramme, 2013.
Dossiers d'Archéologie, no.297, 2004, « Saimt-Denis de Ste Geneviève à Suger».
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