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オンライン授業/西ヨーロッパ地域研究A「ラングドック・ルシヨンの歴史と文化」

第3回/5月26日(火)/古代ローマ時代のラングドック・ルシヨン/その1(後半)
 

③古代ローマの道/文明の動脈                      
前半のところでも触れましたが、古代ローマは、征服した広大な領土を属州化し、
ローマ風の都市を建設し、そしてそれらの都市を、
道路のネットワークで結びました。
有名な言葉で
「すべての道はローマに通じる」というのがありますが、
まさに、ローマから属州の各地へ、そして属州の各地からローマへと
快適で整備された一直線の石畳による舗装道路網が張り巡らされたのでした。

古代ローマの道路は、ローマの土木技術の高さを示すものでもあります。
水はけが良く、車両が行き交っても路面が崩れにくく、都市部では
車両用の路面の両側に歩行者用の歩道まで付けられていました。

そしてローマの道に何よりも特徴的なのは、それが可能な限り、基本的には
ひたすら一直線に作られたということです。
少々の小山や谷や川や森や荒れ地などはものともせずに一直線です。
有名なのはローマから今のブリンディジへとイタリア半島の南に向かう
「アッピア街道」(via appia)ですね。
  
アッピア街道                          ローマにおける路建設(『ローマ帝国をきずいた人々』)


どうして一直線だったのかと言うと、
その方が、役人や軍隊がなるべく短時間に目的地との間を行き来できるからでした。
例えば、ある属州で反乱が起こったとします。
可及的速やかに、なるべく短時間のうちに、
鎮圧のための軍隊を送り込まなければなりません。
それには一直線であることが最もいいのです。
最短のルートを最短の時間で移動できます。
それに道に迷うこともあまりないですし。
あるいは夜間の行軍だって容易です。
今でも高速道路は、小さな地域の実情なんか無視して、
村や町の郊外を一直線に作られていますよね。あれと同じです。
ローマの道は、いわば
古代のハイウェイと言ったところですね。


下の写真は、今のフランス北部オワーズ県のソワソン近郊に残る、
古代ローマ時代の街道の跡です。
畑を突っきり、森を突き抜け、はるか彼方まで一直線に続いています。
現在もその上に道路が作られて使用されているものや、この写真のように
今では道路としては消滅したけれども、飛行機とかに乗って上空から見ると
はっきりとその跡が分かるものもあります。
ちなみに、こうやって空から調べる考古学を
「航空考古学」と言うのだそうです。

フランス北部オワーズ県に残る古代ローマの道路の跡(R. Chevallier )


④ローマの道・ドミティア街道                    
さて、この授業で扱う南フランスのラングドック・ルシヨン地方にも、
古代ローマの道路が作られました。
この道を
ドミティア街道」(仏:Voie Domitienne/羅:Via Domitiaと言います。
属州ナルボネンシスでは最古のローマ街道です。
紀元前118年に、時のローマ執政官ドミティウス・アエノバルブスによって建設されたので、
彼の名前を取ってドミティア街道と名付けられたのです。



この地図の、赤い線がローマ時代のドミティア街道です。
アルプスを越えて東からプロヴァンスに入り、今のニーム(古代名ネマウスス)から
南に向かい、ナルボンヌを経てさらにスペインへと続きます。
イタリアとスペインを陸上で結ぶ、ローマ時代の主要幹線のひとつでした。



⑤ローマの道・ドミティア街道/宿駅アンブリュッスム         

このドミティア街道を、東から南へとたどって行きましょう。
まず上の地図の「ニーム」の少し東(右)にあるボーケールの街の近郊です。
これ、普通のダートの田舎道に見えますが、2000年前は立派な「古代のハイウェイ」でした。


ボーケール近郊の古代ローマ時代のドミティア街道


ニームからさらに南に向かうドミティア街道は、ニームの南西約20キロのところで、
現在のガール県とエロー県の県境でもある「ヴィドルル川」を渡りますが、
ちょうどその地点に、
アンブリュッスム(Ambrussumという遺跡が
残っています(場所は上の地図の黄色い
印と赤い矢印で示したところ)。
アンブリュッスムは、ドミティア街道の中継地・宿場でした。
まず川を渡るローマ時代の橋の橋脚とアーチが目に入ります。

この橋を渡ると、目の前に小さな丘があります。
アンブリュッスムは、この丘の上のA地区と、丘の下のB地区とからなっています。


上の地図の赤い線がドミティア街道です。
丘の上(地図の
「A地区」)には、
ローマの征服以前には土着ケルト人の要塞集落(オッピドゥム)がありました。
前回紹介した「ナージュ」のような城壁も作られていました。
この地域がローマに征服され、紀元前118年にドミティア街道が作られた頃は、
丘の上のこのA地区に宿場のような建物が建てられて利用されていました。

橋を渡ってこのA地区に登ってゆく古代ローマ時代の道が残っています。
石畳で舗装されています。2000年前にこの道を上り下りしていた
荷車や馬車の車輪の轍(わだち)の跡がしっかりと残っていますね。
2000年前にここを通った荷車や馬車のガタガタ・ゴトゴトという音が
生々しく聞こえてきそうです。


  

  
                              A地区(丘の上)の宿場施設の遺構


紀元前1世紀も終わり頃になると、丘の上(A地区)の宿場施設はあまり使用されなくなり、
丘の下の、ドミティア街道沿いの、より便利で広い場所
(B地区)に、
さらに大きな宿場施設が作られて、こちらが利用されるようになったようです。
宿屋が3軒、鍛冶場が1軒、小神殿のような礼拝施設が1軒、役場が1軒ありました。
さしずめ現代の高速道路にあるホテル付きのサービスエリア(SA)みたいなものですね。
古代の旅人たちは、このサービスエリアに泊まって、うまい夕食でも食べながら、
旅の疲れを癒やし、また明日からの旅程に備えたのでしょう。

  
B地区の拡大図(グーグルアース)              ローマ時代の旅と交通(R. Chevallier )


このアンブリュッスムは、紀元1世紀終わり頃には丘の上のA地区はほとんど
使用されなくなって放棄されたようです。そしてローマ帝国の崩壊が進む
4世紀頃には、ドミティア街道自体が使われなくなると共に、丘の下のB地区も放棄され、
その後、時の流れと共に、歴史の忘却の彼方に埋もれていきました。
この場所が再び人の知るところとなるのは、20世紀初めの考古学的な発掘によってでした。

※このアンブリュッスムの遺跡の上をドローンで撮影した動画がYoutubeにあるので、
見てみて下さい。リンクを貼っておきます。

Oppidum d'Ambrussum(7m24s)
https://www.youtube.com/watch?v=M00Jlmr7bQI

Oppidum d'Ambrussum + Pont romain(2m37s)→こちらはローマ時代の橋の部分がメイン
https://www.youtube.com/watch?v=F3RzVqSyhWo





⑥ローマの道・ドミティア街道/さらに南へ・パニサール峠        
アンブリュッスムを経て、ドミティア街道はさらに南へ続きます。
モンペリエの北をかすめて一直線に延び、ナルボンヌへ向かいます。
現在は普通の道路になっているところもあれば(下の左の写真)、
トラクターとかしか通らないガタガタの農道みたいになっているところ(下の右の写真)
もあったりします。

右の写真なんて、今はこんな農道・林道みたいな感じですが、
2000年前は軍隊や役人や商人、旅人たちが行き交う
「古代のハイウェイ」だったのです!
ちょっと信じられませんね。

  
左:プサン(Poussan)付近。           右:メズ(Mèze)付近で国道113号線と交差(1997年3月)。


ナルボンヌでは、町の中央にある大司教宮殿の前の広場に、
ドミティア街道の路面が発掘されて見れるようになっていることは、
今日の「前半」で紹介しました。

ナルボンヌを出てペルピニャンを過ぎ、さらに南下すると、
ピレネー山脈を越えてスペインへと入っていきます。

今日の最後は、このピレネー山脈にあるドミティア街道の峠の中継地である
パニサール峠(Col de Panissars, Le Perthus です。標高は325メートルです。

ここから南は、ヒスパニア(スペイン)に向かう
「アウグスタ街道」(Via Augusta)と名前が変わります。
この場所には、紀元前77年にヒスパニア(現スペイン)で起こった反乱を鎮圧した
ポンペイウスが、紀元前71年に戦勝記念碑の建物を建設したとされています。
そのあとは、ピレネー山脈の分水嶺の峠として、ローマ街道の重要な中継地点となりました。

現在は峠道の跡と、この峠にあった中継施設の建物の遺構、
そして11世紀の古いプレ・ロマネスクの教会の遺構などが残っています。




パニサール峠(2017.3.4)

この写真の手前の赤い線が古代ローマの道です。
右奥にフランスとスペインを結ぶ現在の高速道路が少し見えます。
青い点線のところで、古代の2つの道路が分かれることになります。
すなわち、左方向が
今のフランスへ向かう「ドミティア街道」
右方向が
今のスペインへ向かう「アウグスタ街道」です。
次の写真(左)は、上の写真の青い矢印で「境界」と示したところにある表示板です。



下の写真はこのパニサール峠から今のフランス側に下りてゆく道の様子です。
荷車の車輪のワダチの跡が、岩に深く刻み込まれて残っているのが分かりますね。
この峠道は古代においてだけではなく、中世にかけても利用されたようです。
何百年にもわたって、多くの軍隊、役人、商人、そして旅人たちが
この峠を行き来したことでしょう。

古代ローマの建設したドミティア街道は、ラングドック・ルシヨン地方にあって、
陸路でイタリアとスペインを結び、人とモノが行き交う古代の主要幹線であったのです。



パニサール峠(2017.3.4)


本日の「古代ローマ時代の南仏ラングドック・ルシヨン/その1」はここまでです。
次回(第4回)は「その2」として、今回名前だけ挙げた「ニーム」(古代名ネマウスス)と
世界遺産としても有名な古代ローマ時代の水道橋(ポン・デュ・ガール)について取り上げます。

 ★今回は小コメントなどの提出はありません。

 ※最初の小コメントの提出は、次回・第4回目の授業が終わったところで予定しています。

★次回は、6月2日(火)の3限の少し前、11~12時頃に、
 第4回目の授業内容をこのサイトにアップするようにします。
 http://languedoc.nn-provence.com/ にアクセスして下さい。


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【今回(第3回)の授業の参考文献】

井上靖ほかNHK取材班『シルクロード・ローマへの道・第12巻/すべての道はローマに通ず』
                         日本放送出版協会、1984/1993年。
塩野七生『ローマ人の物語10/すべての道はローマに通ず』新潮社、2001年。
柴田三千雄・樺山 紘一・福井 憲彦ほか編著『世界歴史大系/フランス史1・先史~15世紀』
                        山川出版社、1995年。
長谷川岳男・樋脇博敏『古代ローマを知る事典』東京堂出版、2004年。
馬場恵二『ビジュアル版世界の歴史3/ギリシア・ローマの栄光』講談社、1984/1989年。
藤原武『ローマの道・遍歴と散策』筑摩書房、1988年。
藤原武『ローマの道の物語』原書房、1985/1990年。
オーウェンズ『古代ギリシア・ローマ都市』松原國師訳、国文社、1992年。
カッソン『古代の旅の物語-エジプト、ギリシア、ローマ』小林雅夫監訳、原書房、1998年。
クーランジュ『古代都市』田辺貞之助訳、白水社、1995年。
グリマル『ローマの古代都市』北野徹訳、文庫クセジュ、白水社、1995年。
シュライバー『古代ローマへの道』関楠生訳、河出書房新社、1989年。
スパイヴィー&スクワイア『ヴィジュアル版/ギリシア・ローマ文化誌百科(上・下)』
                      小林雅夫・松原俊文監訳、原書房、2007年。
フリーマン&ドリンクウォーター『図説・古代ローマ文化誌』小林雅夫監訳、原書房、1996年。
ミケル&ル・ゴール『カラーイラスト世界の生活史 4・ ローマ帝国をきずいた人々』
                    福井芳男・木村尚三郎監訳、東京書籍、1984年
ランデルズ『古代のエンジニアリング ギリシャ・ローマ時代の技術と文化』
                        久納孝彦監訳、地人書館、1995年。
ル・ロワ・ラデュリ『ラングドックの歴史』和田愛子訳、文庫クセジュ、白水社、1994年。

BROMWICH, James, The Roman Remains of Southern France, Routledge, 1996.
CHEVALLIER, Raymond, Voyages et déplacements dans l'Empire romain, Armand Colin, 1988.
CLÉMENT, Pierre A., La Via Domoitia, Découverte d'une voie antique des Pyrénées aux Alpes,
                       Éditions Ouest-France, 2015.
CLÉMENT, Pierre A., Les chemins à travers les âges, en Cévennes et Bas Languedoc,
                       Presses du Languedoc, 1989.
DELLA PORTELLA, Ivana, ed., The Appian Way, From Its Foundation to The Middle Ages,
                       J. Paul Getty Museum, 2004.
DELLONG, Eric, et al., Carte archéologique de la Gaule, 11/1, Narbonne et la Narbonnais,
                    Académie des Inscriptions et Belles-Lettres, Paris, 2002.
DRINKWATER, J. F., Roman Gaul, The three provinces, 58 BC-AD 260, Cornell UP, Ithaca, 1983.
GAYRAUD, Michel, Narbonne antique des origines à la fin du IIIe siècle, Paris, Boccard, 1981.
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KING, Anthony, Roman Gaul and Germany, British Museum Publications, London, 1990.
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MECLE, André, Narbonne et son terroir, Toulouse, Éditions Loubatieres, 1991.
MECLE, André, Narbonne, Palais des archevêques et Cathédrale. Moisenay, éditions Gaud, 1999.
MICHAUD, Jacques, et CABANIS, André, dir., Histoire de Narbonne, Toulouse, Éditions Privat, 1988.
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L'Archéologue, no.47, 2000, La voie domitienne, Paris, Epona.
L'Archéologue, no.91, 2007, Languedoc, celte et romain. Paris, Epona.
Musée de l'Horreum de Nrbonne, Guide de visite.

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