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オンライン授業/西ヨーロッパ地域研究A「ラングドック・ルシヨンの歴史と文化」

第4回/古代ローマ時代のラングドック・ルシヨン/その2(後半)  

⑤古代ローマの水道                      
古代ローマでは、都市が大きくなればなるほど、そこで消費する大量の水を必要としました。
そこでローマ人は、都市の郊外の水源から都市の中まで水道を建設して導水しました。
近くに適当な水源がない場合は、何十キロも離れた所から水道を引きました。
当たり前のことですが、水は高いところから低いところへと流れます。
その逆は、電力のポンプでも使わない限りあり得ません。

古代ローマ時代に電力ポンプなんかありません。
したがって、ローマ人は、
わずかな高低差をつけながら水道を建設しました。
また谷などが途中にある場合は、水道橋を建設してそれを越えました。
水質を維持するために、水源から都市までは、導水路には石でフタをし、
またかなりの部分では地下水道にしたりしました。
大変な土木技術力であると言えます。


フランス・リヨン郊外の古代ローマ水道(1998.8.22)



⑥ニームのローマ水道                       
ニームに水を供給するための水源は、ニームの街からなんと50キロも(!)離れた、
今のユゼスという街の郊外にある「ユールの水源」でした。
したがって、ローマ人は、この「ユールの水源」からニームの街まで
全長50キロもの水道(ガール水道)を建設したのです。
建設されたのは紀元前19年です。
1日あたり、2万立方メートルの水をニームの街に導水しました。



それにしても、50キロの水道の、
平均斜度は1キロあたり34センチです!
今のような測量装置や建築機材もない2000年以上前に、
1キロたった34センチの傾斜をつけて、
50キロもの水道を石で作る
なんて、およそ信じられないくらいすごい技術です。
ちなみに小田急線で新宿から50キロというと、どのあたりか分かるでしょうか?
なんと、
伊勢原なんです!(正確には新宿~伊勢原は52キロ)。
新宿からおよそ伊勢原までの距離を、1キロ34センチの傾斜をつけて、石の水道を建設したわけですね。
それも2000年以上も前に!

導水路は、すべて石でできていて、天井や敷石で覆われていました。
水を空気にさらすために、開口部を作ったり、水を抜いて掃除や修理をするための水抜き装置も
備えていました。


次の写真(左)は「ユールの水源」です。
今はユゼス市民が家族で散歩したりする公園となっています。
 

次の2枚の写真は、水源から少し行ったところにある
古代の分水施設です。
水量を調節するために板をはめ込む溝が残っています。
例えば雨の後で水の量が多すぎる場合には、板をはめ込んで、
多い分の水を近くの川に流していくといったことが行われました。
 


⑦水道橋ポン・デュ・ガール(Pont du Gard)              
フランス語の「ポン」は「橋」です。
「ガール」は「ガール県」ですね。
なので「ポン・デュ・ガール」は「ガールの橋」という意味です。
世界遺産にも指定されているこの有名な古代の水道橋は、
ガルドン川にかかり、長さ275メートルあります。
水が流れていた最上部高さは、下の川から49メートルです。



上下3層のアーケード(アーチの列)からなり、このアーケードは、
見るものに与える印象が単調にならないように、上に行くほど幅が狭くなっています。
下層は6つの大きなアーチが並び、長さは142メートル、幅6メートル、高さ22メートル。
中層は11のアーチ、長さ242メートル、幅4メートル、高さ20メートル。
導水路のある最上層には35のアーチが並び、長さ275メートル、幅3メートル、高さ7メートルです。
使用されている石材は1つが6トンもあります。


この「古代建築の驚異」を見学するために、昔から建築家やその見習いなどがやって来ました。
フランス国内はもとより、遠い外国からも古代の建築技術を見て学ぶために訪れたのです。
彼らはここに来た証に、あちこちの石材にサインを刻んでいます。
次の写真は1839年にここを訪れた
建築家の残したサインです。


ローマ帝国の崩壊が進む4世紀以降は、ちゃんとした管理・保守が行われなくなりました。
導水路の内側に石灰石が付着し、水量も3分の1に落ちました。

しかも、このポン・デュ・ガールは、戦争でニームが攻撃されるたびに
部分的に破壊され、切断されました。
1カ所でも崩れたり切断されると、もう水は流れないので、
全長50キロがすべて無駄になってしまいます。
9世紀には完全に使用不能になり、その後は付近の住民が家の建築のために
石材を勝手に取っていきました。水が流れない水道は、もはや無用の長物ですからね。
このガルドン川に架かる水道橋ポン・デュ・ガールの部分だけがこのようにして残されたのは
まさに奇跡としか言いようがありません。


 

上の2枚は、1987年11月に私が初めてポン・デュ・ガールに行った時に撮影したものです。
その頃は、まだこの水道橋の一番上の、導水路の石のフタの上を歩いて渡ることができました(左の写真)。
高所恐怖症の人には、ちょっと無理かも知れませんね。
現在は橋のてっぺんを歩いて渡ることは禁止されています。
当時は、最上層の導水路の中をはって行くこともできました(右の写真)。
内部には石灰石が導水路の両側の壁に付着して盛り上がり、幅が狭くなっています。
こうなると流すことのできる水量がどんどん減っていくことになります。
4世紀頃にはもうすでにこんな感じだったようです。


⑥ニームの分水施設                          
「ユールの水源」から50キロを延々と流れてきた水は、ニームの街に入ると、
街の各所に分水されて利用されました。
その分水施設の遺構が今もニームの街の中に残っています。



上の地図の「G」のところです。北東から導水されてきた水道(青い線)がここで分かれて、
市内のあちこちに配水されていったのでした。下の写真でも分かるように、
奥の四角い導水路から入ってきた水が、円形の貯水槽に入り、手前に並んだ丸い穴を通って、
それぞれの方向へ分かれていくように作られています。

ニームの分水施設の遺構(1997.3.1)


本日の「古代ローマ時代の南仏ラングドック・ルシヨン/その2」はここまでです。
古代都市ニームや、そこに水を供給していたローマ水道などについて取り上げ、
今から2000年前の、非常に高度に発達した快適な都市文明の様子を見てきました。


古代の話はここまでで、次回(第5回)からは、中世に入ります。
3回シリーズでラングドック・ルシヨンのキリスト教の教会建築、
とりわけ12世紀のロマネスク教会を取り上げます。


★今回は、出席調査を兼ねて、小コメントを提出していただきます★


第2回~第4回の授業の内容について、自分がその中で一番印象に残ったことや、
重要だと思ったことは何か、そしてそこに、できれば自分の意見や感想なども付け加えて、
300字以上~400字くらいまでで書いてメールで提出(送信)して下さい。
ワードなどのファイルを添付するのではなく、
メール本文に直接書いて下さい。
メールのタイトルには、必ず授業名、学生証番号、氏名を書いて下さい。
例えば次のようにして下さい。
   (例)メールタイトル「
地域研究A/5BPY1234/東海太郎

提出(送信)締切りは、
6月9日(火)の22時までとします。
メールアドレスは、nakagawa@tokai-u.jp です。
「@」の次は、「tokai-u」です。「u-tokai」ではないので注意して下さい。


※出席調査を兼ねたこのような小コメントの提出は、全部で4回ほど予定しています。
 一番最後に「最終レポート」を提出(送信)してもらいます。

※大学の「授業支援システム」を使っているわけではないので、WEBの閲覧やメールの送信には
 時間の制限などはありません。いつでも好きな時に閲覧・メール送信して下さい。

★次回は、6月9日(火)の3限の少し前、11~12時頃に、
 第4回目の授業内容をこのサイトにアップするようにします。
 http://languedoc.nn-provence.com/ にアクセスして下さい。


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【今回(第4回)の授業の参考文献】

柴田三千雄・樺山 紘一・福井 憲彦ほか編著『世界歴史大系/フランス史1・先史~15世紀』
                        山川出版社、1995年。
長谷川岳男・樋脇博敏『古代ローマを知る事典』東京堂出版、2004年。
オーウェンズ『古代ギリシア・ローマ都市』松原國師訳、国文社、1992年。
クーランジュ『古代都市』田辺貞之助訳、白水社、1995年。
グリマル『ローマの古代都市』北野徹訳、文庫クセジュ、白水社、1995年。
スパイヴィー&スクワイア『ヴィジュアル版/ギリシア・ローマ文化誌百科(上・下)』
                       小林雅夫・松原俊文監訳、原書房、2007年。
フリーマン&ドリンクウォーター『図説・古代ローマ文化誌』小林雅夫監訳、原書房、1996年。
ミケル&ル・ゴール『カラーイラスト世界の生活史 4・ ローマ帝国をきずいた人々』
                      福井芳男・木村尚三郎監訳、東京書籍、1984年
ランデルズ『古代のエンジニアリング ギリシャ・ローマ時代の技術と文化』
                        久納孝彦監訳、地人書館、1995年。
ル・ロワ・ラデュリ『ラングドックの歴史』和田愛子訳、文庫クセジュ、白水社、1994年。

AICHER, Peter J., Guide to the Aqueducts of Ancient Rome, Bolchazy-Carducci, 1995.
BEACHAM, Richard C., The Roman theatre and its audience, Routledge, London, 1991/1995.
BROMWICH, James, The Roman Remains of Southern France, Routledge, 1996.
DARDE & LASSALLE, Guide Archéologiques de la France, Nîmes antique, Éditions du patrimoine, 1993.
DARDE Dominique, Guide Archéologiques de la France, Nîmes antique, Éditions du patrimoine, 2005.
FABRE & FICHES & PEY, L'eau à Nîmes, Les Presses du Languedoc, 1994.
FICHES, Jean-Luc, Le pont du Gard, Itinéraires, Éditions du Patrimoine, 2001.
FICHES et VEYRAC, dir., Carte Archéologique de la Gaul, 30/1, Nîmes,
                 Académie des Inscriptions et Belles-Lettres, Paris, 1996.
GOEPFERT, Yves et Yvette, Le Pont du Gard, Éditions AIO, 1994.
GRANIER, Jacky, Le Pont du Gard, Éditions du Boumian, 1999.
GUITTENY, Marc, Nîmes, Éditions du Boumian, 1995.
KING, Anthony, Roman Gaul and Germany, British Museum Publications, London, 1990.
LARNAC, C. & GARRIGUE, F.,L'aqueduc du Pont du Gard, Les Presses du Languedoc, 1999.
LASSALLE, Christiane, Vues du Pont du Gard et de l'aqueduc antique de Nîmes,
                      Musées d'art et d'histoire de Nîmes, 1987.
MALISSARD, Alain, Les Romains et l'Eau, Les Belles Lettres, 1994, Paris.
MATTIA, Georges, Il était une fois...Les romains en Languedoc, Arles, Éditions Errance, 2012.
Musée Archéologique de Nîmes, L'Aqueduc antique de Nîmes et le Pont du Gard,
                    Bulletin de l'École antique de Nîmes, no.21, 1990.
Musée Archéologique de Nîmes,
             Par-dela le Pont du Gard, Études sur l'aqueduc romain de Nîmes, 1986.
PÉROUSE DE MONTCLOS, Jean-Marie, et al.,
             Le Guide du Patrimoine, Languedoc-Roussillon, Hachette, 1996.
VARÈNE, Pierre, L'enceinte gallo-romaine de Nîmes, Les murs ey les tours,
                  53e supplément à 《Gallia》, CNRS Éditions, 1992.
WOLFF, Philippe, dir., Histoire du Languedoc, Toulouse, Éditions Privat, 2000.
L'Archéologue, no.89, avril-mai 2007, Nîmes antique et sa région. Paris, Epona.

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