オンライン授業/西ヨーロッパ地域研究A「ラングドック・ルシヨンの歴史と文化」
第5回/6月9日(火)
東ピレネー県の中世ロマネスク教会(前半)ロマネスクとは何か
(※ページの画像がうまく読み込まれない場合は、再読み込みすると、ちゃんと表示されると思います)
今回から、中世のラングドック・ルシヨン地方の歴史と文化の話に入ります。
もっぱら、12世紀とその前後に花開いた、中世キリスト教のロマネスク建築を扱います。
まず前半では、そもそも「ロマネスク」とは何か、という説明をしておきます。
①ロマネスクとは何か
「ロマネスク」とは、中世の西ヨーロッパにおいて、
11世紀(西暦1000年代)から12世紀(1100年代)にかけて、
もっぱらキリスト教の教会や修道院を中心とした、建築や彫刻、絵画、
その他に現れた文化・芸術様式のことです。

上の図を見て下さい。
繁栄を極めた古代ローマ帝国も、4世紀からのゲルマン諸民族の侵入や、
うち続く内政の混乱によって、476年に滅亡します。
その後は、ローマ帝国内に移動して来たゲルマン諸民族の中の「フランク族」が
次々と他の部族を打ち破って、「フランク王国」として西ヨーロッパ地域を再統一します。
彼らは古代末期からローマ帝国に広がっていたキリスト教に改宗し、
以後およそ1000年にもわたって続く、中世キリスト教の時代が始まりました。
フランク王国を統一したカール大帝(シャルルマーニュ)
しかしながら、その「フランク王国」が拡大していた6世紀(西暦500年代)頃からの約500年は、
北からはヴァイキング(ノルマン人)が、東からはマジャール人が、
そして南からはイスラーム帝国が、西ヨーロッパに次々と侵入し、略奪や破壊を繰り広げます。
そうした外敵によって、都市は破壊され、土地は荒れ、教会や修道院は略奪され、
人口も減りました。古代から受け継いできた文化的な遺産も多くが破壊、消滅しました。
上の図で赤く大きく「大混乱」と記したところですね。
さて、そうした外敵の侵入も、11世紀(西暦1000年代の)初め頃になって、ようやく収まり、
平和がやって来ました。農民たちは村に戻り、都市も次第に復興します。
政治もそれなりに安定し、商人たちによる商業も盛んになってきました。
西ヨーロッパの力が復活してきたのですね。
それで、そろそろ教会や修道院も新しく再建しようということになり、
11世紀後半くらいから、西ヨーロッパ中で一種の教会建築ラッシュが起きました。
その時に、建築のお手本にしたのが、
「大混乱」の時代の前の時代、すなわち古代ローマ文明の建築様式だったのです。
上の図の右端に「利用」と書いたところです。「利用」または「お手本」ですね。
「ロマネスク」(romanesque)という言葉は英語ですが、
これは文字通り「ローマ風の」という意味です。
フランス語では「ロマネスク」は、そのものずばり「roman」です。
古代ローマをお手本として、そこから大きな影響をうけながら
キリスト教の教会建築を建てていったのです。
ロマネスク様式は、おおよそ11世紀(1000年代)~12世紀(1100年代)です。
13世紀(1200年代)からは、今度は「ゴシック様式」になります。
以下、ロマネスクとゴシックの対比をしながら、もう少し説明しておきます。
②-1/ロマネスクは比較的小さい◆ゴシックは大きい
12世紀のロマネスク建築は、ゴシックに比べると比較的小さいです。
中にはフランス・ブルゴーニュのクリュニー修道院のようにすごく大きいものもありますが、
全体的には小~中規模です。
それに比べてゴシックはデカイです。
そのかわり、ロマネスクは小さいので、「かわいい」ものが多いです。

(2014.3.9) (2001.8.14)

(2003.2.28)
上の写真は、北フランスのボーヴェという街にある「ボーヴェ大聖堂」です。
非常に面白いのは、ロマネスク時代の大聖堂(左側)と、ゴシック時代の大聖堂(右側)が
二つ並んでいるところです。
左側の小さい方が、12世紀のロマネスクの大聖堂です。
それを取り壊して、13世紀に、新たに大きなゴシックの大聖堂を建てようということになって
工事が始まったのですが、途中で工事が止まってしまい、
古いロマネスクの大聖堂の取り壊しも途中で停止しました。
なので、ロマネスクとゴシックの両方を同時に見ることができるというわけです。
この高さと大きさの違いを見て下さい。すごい違いですね。
ちなみに、このボーヴェのゴシックの大聖堂は、
ゴシック様式の内部の身廊部の高さが世界で最も高く、48.5メートルもあります。
※ちなみに「大聖堂」というのは、単に「大きな聖堂」という意味ではありません。
キリスト教の「司教」という偉い役職(ランク)の聖職者がいる聖堂のことを
「カテドラル」と言い、それを日本語で「大聖堂」と訳しているのです。
②-2/ロマネスクのアーチは半円形◆ゴシックは尖頭形
基本的に、ロマネスク教会で造られるアーチは「半円形」です。
これは古代ローマの建築物の影響です。古代ローマ建築で使われるアーチはすべて半円形です。
ところがゴシックのアーチは「尖頭形」になります。つまり「とんがっている」のです。

上の写真は、古代ローマのコロッセオ(左)と凱旋門(右)です。
両方ともアーチは半円形、つまり「丸い」ですね。
下の写真は、左側がロマネスクの修道院。連続するアーチは丸いです。
右側は、パリのノートルダム大聖堂(ゴシック)の後ろの、後陣側からの眺めです。
並んでいる窓はすべてとんがっています。

②-3/ロマネスクは壁が分厚くて窓がない◆ゴシックは壁が薄くて窓だらけ
ロマネスクの教会建築は、壁それ自体で建物全体が崩れないように支えようとします。
なので壁はとてもぶ厚いし、強度を保つためになるべく窓を少なくします。
そして壁の外部に、直接建物を支える柱(扶壁)をつけます。
それに対してゴシックは、外壁から少し離れた所に柱を立てて、
そこから壁を支えるバットレス(飛び梁)を、まるで橋を架けるように付けます。
これを建築用語で「フライング・バットレス」と言います。
おかげで壁自体を厚くする必要がなくなり、すごく薄くして、窓もたくさん開けるようになりました。
そしてその大きな窓にステンドグラスをはめたのです。

(2005.3.2) (2003.2.28)
上の写真の左側のロマネスクの教会の側面はほとんど「壁」です。
窓はほんのわずかしかありません。そして壁面には補強のための柱(扶壁)が直接ついています。
一方、右側の写真は、先ほども紹介したゴシックのボーヴェ大聖堂の内部を、
下から上の天井を見上げたものです。
よく見て下さい。天井を支えているのは、もはや「壁」ではありません。
というか「壁」というものがまったくないのです。
下から延びる柱だけが天井を支えています。天井の下には柱と窓しかありません。
②-4/ロマネスク教会には不思議な彫刻装飾が多い
最後に、ロマネスク教会の特徴として挙げられるのは、不思議な彫刻が多いと言うことです。
説明したり解釈したりすることがとても不可能なものもたくさんあります。
もちろんキリスト教の教義にちなんだものや、聖書に題材を取ったものもたくさんあります。
しかしまた同時に、キリスト教の教義では決して説明できない
「いったいなんだこりゃ~?」みたいな奇妙キテレツな彫刻もあふれていたりします。
画像だけですが、いくつか載せておきます。

(2013.3.6) (2003.3.14)

(2013.3.13) (2018.9.25)

(2018.9.25) (2009.8.26)
本日の「前半」はここまでです。
「後半」では東ピレネー県のロマネスク教会を、いくつか取り上げることにします。
| →第5回の後半に続く |